この線から先は入ってこないで
「この線から先は入ってこないで。」
理科の授業だけは教室を移動して理科室で行われる。
理科室では一人一人の机はなく、4人で一つの大きな机を使うことになる。向かい合わせの人はそれほどでもないが、隣同士は間隔が狭く、私達は毎回もめ合っている。
「あんたの机の使い方が雑だから、私のノートが置けなくなっちゃう。」
「ああ、ごめん。」
そこで私は鉛筆の線で境界を作った。黒っぽい机の上なので、書いてあると知っている人でないと、線の存在は分かりにくい。
「あのさ、」
「何?」
「この消しゴムのカスはどっちのだろう?」
鉛色の境界線上に消しカスがまとまっている。アリの行列みたいに、境界線に沿っている。
「これは明らかにこっちでしょ。でもこれはお前ので。この辺の線上はさ…、」
「細けえな!だいたいでいいよ、どうせゴミなんだから。」
「あ、そう?じゃあ俺がもらうよ。」
彼側の机の端には、消しカスをまとめて丸く固めた物体が置いてあった。白いゴムが消しゴム。黒いカスが消しカス。あの黒い固まりは何と呼ぶのだろう。
今日はいつもより授業がつまらなく感じる。どんよりした天気のせいかな。
「ねえ、何か面白い話して。眠くなる。」
「え、授業中なんだけど…。」
「いつもそんなの関係なく喋ってるじゃん。何、いまさら。」
「はは、お前とは口論してる覚えしかないんだけど。怒ってないと眠くなるの?マグロみたいだな。」
「何それ?」
「マグロは泳いでないと死んじゃうから。」
「全然面白くない。」
「それじゃあ面白い話を一つ。隣の家に壁ができたってよ…」
「もういい、寝る。」
「へい。」
そういえば最近こいつと話すことが少なくなった気がする。いつもは言い合いばっかりしてたからかな。じゃあ、きっといいことだ。これも境界線のおかげ。
みんなが持っているものが私には欠けている。
知識?
運動神経?
コミュニケーション能力?
違う。
そんなものではない。
持たざる者はこれから始まる60分の死闘の中、意識を保って生き延びることができないであろう。この瞬間だけ高尚になるもの。分厚い紙の集合体、教科書だ。
例えばこれが国語の授業だったら問題はない。隣の人に見せてもらえばいい。悪いんだけど、と言って。机をくっつけて。その間に教科書を置いてもらえばいい。しかしこれは、理科の授業なのである。
「あれ?お前、教科書は?」
「忘れた。」
「なんだよ、早く言えよ。」
あいつは躊躇なく、境界線を越えようとする。
「待った待った!境界線、境界線。超えない程度のところに置いて。端っこ、ギリッギリのところ。」
「いや、大丈夫大丈夫。」
「大丈夫じゃない!こういうのはしっかりしないと、後からなあなあになるんだから。せっかく作ったルールなのに。」
「いや、俺も教科書忘れちゃってさ、別のクラスのやつに借りたのね。」
「だから?」
「これは、俺の教科書じゃないから大丈夫。」
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