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【ショートショート】夕暮れの台所サミット

「なんならカルパッチョ作るか!なんならカルパッチョ作るか!なんならカルパッチョ作るか!」狭く薄汚い台所で女は3回口にした。

遡ること30分前、女は悶々としていた。既に18時近くなったというのに、昼に豚丼とドーナツを胃袋に収めてからというもの一向にお腹の空く気配がない。何もいらない。今はアルコール以外、何も胃袋に入れたくはない。

それは一緒に暮らす男も全く同じで、「お腹空いた?何か食べる?」と聞けばゲームをしながら「すかなーい」と応えるのみ。それを聞き、女はまた頭を抱える。ああ、せめてこの男だけでもお腹空いててくれれば私は夕ご飯を作るのに・・・!

それなら夕ご飯なんて作らず二人で酒だけ愉しめばいいと思うだろう、しかし実際には冷蔵庫の中に今日買ったサーモンが今か今かと出番を待っているのである。あいつは何が何でも今日のうちに食べなければならぬ。明日という手もあるが、この男は魚の鮮度にとかくうるさい。フードロスを我が家から出してなるものか。

買い物の時、確かに頭の中で「今日は簡単にパスタとカルパッチョでいいか」と献立を立て、レトルトのパスタソースとレモン汁、そしてそのサーモンを買い物カゴに入れたのだった。その時はそれが「簡単」かつ「丁度いい」メニューだと信じて疑わなかった。

しかし、どうした事だろう、昼間の豚丼とドーナツというカロリーダイナマイトが漬物石のごとく胃袋から動こうとしないではないか。いや、時間を考えれば腸へ移動してる時間である。ではこれは満腹中枢によるものなのか。さては今、血糖値が十分に上昇し切ってるから何も欲しないようになってるんだな。ははん、たしかに彼らはカロリーダイナマイトであると同時に血糖値スパイク要因である。

糖と脂肪、その二つが手を繋ぎ私の身体中を駆け巡り、そして蝕む。なんて愚かなことだろう。こうしてせっかく夕ご飯の時間となったというのに全く腹は空かず、そして寝る前になって「お腹空いたー」とチョコをつまむのが目に見えるではないか。

彼らは策士だ。人を生活習慣病に陥れる策士。

女はフハハハハハと笑い、立ち上がる。

ざまあ。お前らの思惑通りにはならんぞ。

冷蔵庫を開け、水菜と新玉ねぎを取り出す。カルパッチョなんぞ容易い。

「なんならカルパッチョ作るか!なんならカルパッチョ作るか!なんならカルパッチョ作るか!」狭く薄汚い台所で女は3回口にした。

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