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ちょうどいいところを探り合うのは そろそろ疲れた


ここは多機能トイレです
比較的すいてるトイレです
暇な時メールする君が
ちょっと大事すぎて 気持ち悪いの
ちょうどいいところを 探りあうのは そろそろ疲れた
  - 「ノスタルジックJ-pop」 大森靖子


私は恋愛では妻と学生時代からガッツリ相互依存なので、

ちょうどいいところを探るとか、駆け引きとかはほとんどないのですが、

友人関係ではこういうことでとてもよく悩みます。

なるべくたくさんの人と緩く繋がっていたいなぁと思うのですが、それが私にはとても難しくて、ちょうどいい距離の詰め方が分からないです。

オープンに誘ったりするのは苦手だし、たまにやろうとすると、急に距離を詰めすぎて引かれてしまったり。

うまく仲良くなれたと思っても、もっとたくさん話したくなって、依存的になってしまったり、そうなるまいと自分で抑えすぎて、うまく距離を詰められなかったり。


あと、自分の開示の仕方も分からないです。

基本的にだばだば自分を垂れ流していて、このnoteに書いているようなことも大丈夫そうな人には話すのですが、

どうしてもその場の空気になじむように、面白くなるように話すことになるので、

結果的に何かちょっとキチガイ、サイコっぽいキャラクターを付けてしまって、

結局表層的になってしまったり。


自分の中でうまく吐き出せたなと思っても、悩みが重すぎて気を使わせてしまったり。


本当はただ話したいだけ、考えるのが好きなだけで、共感も同情も解決策もいらない、そして次はあなたの内面の話も聞きたい、ということなのですが、うまくいったためしがありません。


勝手な、理想的な関係を言えば、

私が急に長文メールを送っても、重く受け止めずに気が向いた時だけ返信してくれたり、

相手からもたまに長文メールが来たり、

お互いに嫉妬せず、幸福や不幸を比べず、

急にいなくなってもお互いを気にせず、

フラットに会話のドッヂボールができる関係。

少し前まで一人だけいたのですが、亡くなってしまったのですよね。


一言で抽象的に言えば、孤独を共有したいと思うのです。


あと、もう一つ最近発見があって、

趣味とか合う人って同じもの好きだから同じ感覚を持っている可能性が高いって思っていたのですが、

あんまりそれって関係ないかもなと思い始めました。

そういえば亡くなった友人は、趣味はほとんど合わなかったし、

妻とは趣味は一つも合わないのですが、全く問題ないです。

趣味も仕事も何も共通していなくてよくて、社会的な実用性とは離れた関係が欲しいなと思っています。

むしろ違う方が話していて面白いこと多いですしね。


ですが、根本的な考えが少しでも合う人って、とても希少と思うので、

そこにたどり着くまでにはある程度の母数が必要だと思うのですが、

「場」とのコミュニケーションが苦手で、広く浅い関係をまず作れないから、

結果的に少ない母数の中からアンマッチの人に突撃して、失敗して傷つくのですよね。

自分を開示した上で傷つくと、奥のほうまで傷つくから、ホント死ぬんですよね。


今後、このnoteの記事を100個くらい上げたら、そういうちょうどいい距離感で孤独を共有できるような友人ができないかなー・・・、と思っていて、それをnoteを書く一つのモチベーションにしています。


おわり


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