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東京五輪のマスコットとデザインと多数決

東京五輪のマスコットが決まりましたね。

初見では個人的に、なんかポケモンっぽいし、日本の漫画カルチャーも感じられ(特にキャラクターの目の表現とか)良いんじゃないかなー、と軽い気持ちで見てたんですが

東京五輪マスコットはなぜ小学生投票で選ばれたのか 審査会が語る「意思決定の難しい時代」の1つの在り方

ちょっと関連記事を読んでいくうちに、ちょっと違和感や薄気味悪さを感じたのでこのnoteが書かれています。

デザイン決定に至るまでのプロセス

今回のマスコットは、公募された多数のデザインの中から、小学生による投票で決定する方式を取っていました。なぜ小学生に投票させる方式を採用したかというと、先に引用した記事では

特に子どもが受け入れられるものという命題をもらっていた
きちんとみんなが納得しやすいプロセスをとる大事さ
感性が一番フレッシュな小学生の方々ではないかと、みんなで討議した結果決定しました
日本の夏季オリンピック史上初めてのマスコットキャラ。それを未来に向かう子どもたちが選ぶということで納得しました

という理由が書かれていました。

それぞれよく理解できるのですが、2番目の「みんなが納得できるプロセスをとる」というのが投票制をとった理由としては一番大きいでしょう。

これは東京オリンピックのエンブレム問題でのいざこざの経験から、まあそうするよな....という思いもあるものの、デザインに携わる人間としては複雑ではあります。

デザインと多数決

ちょっと前に、こんな記事を書いていて、要約すると「デザインを最終決定するのに多数決を用いると、対象にあった適切なデザインが選択されない場合が往々にしてある」という内容なんですが、要因としては「デザインのターゲットが投票する人達と必ずしも一致しない」「多数決で決定されたデザインは無難なものが選択されがち」という点を挙げています。

選択されたデザインへの納得感、というのは確かに大事で場合によっては重要視されるものです。今回のケースはそれだったんだと思います。衆愚政治の話を書こうと思ったけどやめます。

とはいえ、このデザイン決定のプロセスが「善い前例」として取り扱われる未来を想像すると、「デザインは関係者全員の総意で決める」みたいなものが想像され、結果として、「対象にフォーカスした正しいデザイン」「既存の概念を打ち破るような斬新なデザイン」みたいなものが生まれなくなってしまうのでは、という危惧があり、これが僕の感じた違和感だったのだと思います。

まとめ

東京五輪関連のデザインのあれこれについては、以前ブログで散々書いていて、もう書くのやめようかなと思ってたんですが、多数決とデザインについて最近書いてしまっていたので、義務感で書きました。

今回のマスコットの選出については、密室で決定されるよりはるかによく、だけど、それが全てのデザイン決定の手法になるのもアレだなー、という内容でした。

なお、最初の方に「薄気味悪さ」を感じたと書いたのですが、これは「小学生が選んだということを盾に批判をかわそうとしている」意図が見え見えだからです。そういう姑息なのやめろ。





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