推しと距離をおこうと思った頃の話(2) 2022/07/12
その年の夏は、SHOWBOX公演とリリースイベントで体力的にも金銭的にもかなりキツかった。
なるべくたくさん公演を見たかったし、リリースイベントも出来るだけ行きたかったから、睡眠時間を削ってでも見に行っていた。
新しいファンが増えても推しの対応は変わらなかった。子供みたいにはしゃいだり、時々ドキっとさせられたり、いつだって私は幸せだった。
ただ自分が勝手に、推しに執着したくなくて気持ちの距離をおこうとしていたのだ。ファンサービスをしてくれればしてくれるほど、もっと期待してしまう自分が嫌だった。
推しは、とても勘が鋭かった。
雰囲気や表情で相手の気持ちを察する能力に優れていた。
気持ちの距離をおこうとしていた頃、特典会でチェキにサインをもらう時、その日の推しのヘアスタイルがとても素敵だったから「かっこいいね」と伝えた。
推しは嬉しそうに笑うと、机の上に置いていた私の両手を手にとり、手のひらを合わせて指を絡めた。
私は恥ずかしくて思わず体を引いてしまったけど、推しは手を離さずにじっと見つめていた。
その時は恥ずかしさと、どう反応して良いのかわからなくてただ焦っていただけだったが、後から考えると推しはもしかしたら察していたのかなと思った。
私はたまに書く推しへの手紙に、毎回「推しくんのファンになって幸せ」と書いた。推しは、その言葉が幸せだとよく言っていた。
考え過ぎかもしれないけど、推しは私が2番目の推しに関心を向けようとしていることに気づいているような気がした。
数日後。
その日の公演のソロステージは、本命の推しと2番目の推しのデュエットステージだった。
Zion.Tの「No make up」。
2人の掛け合いが可愛い曲だ。
本命の推しは、いつにも増して目線をくれた。嬉しいけど、居心地が悪くなるくらい。
公演後の特典会では、いつも通り推しと2推しの個人チェキをお願いした。
いつもは本命の推しが先に出てくるのだが、その日は推しを遮って2番目の推しが先に前に出てきた。
推しは少し面食らったような表情をしていた。
毎回同じピースサインでチェキを撮るから、その日はしゃがんで撮ることにした。
2推しと撮り終わって、次に本命の推し。
同じようにしゃがんでピースしてチェキを撮った。
撮り終わると推しはスッと立ち上がり、手を引いて立ち上がらせてくれた。
些細なことだけど、その仕草にときめく。
個人チェキの後の団体チェキ。
撮り終わると推しはハイタッチをしてくれて、「ありがとう」と言いながらギュッと手を握った。
私は単純だから、ただそれだけのことでもドキっとしてしまう。
2番目の推しに気持ちを向けようと思っても、絶妙なタイミングで引き戻されるような感覚。
わざとなのか、無意識にやっているのかわからないけど、私が1人で空回りしているみたいだ。
一時はファンが減ってしまったが、公演の回数が増えるにつれて新しいファンが増えた。
別界隈の接触系地下アイドルのファンがたくさん流れてきて、特典会の雰囲気はあまり良くなかった。
新しいファンへの対応で、メンバーたちは疲れているように見えた。
新規のファンに良い対応をすれば古参ファンから文句を言われ、そのバランスをとるのが大変そうだった。
少し前までは私はヲタク同士の人間関係や、迷惑ヲタクの噂に過敏になっていたけど、この頃になるとだいぶ興味を失っていた。
最初は純粋に公演を楽しんでいたファンが、日に日に拗らせて迷惑ヲタクになっていく姿を何人も見てきたから慣れっこになってしまった。
自分はそうならないようにしよう、ただそれだけを考えていた。
推しに執着したくなかったのは、推しに嫌われたくないからというだけではなく、自分自身に歯止めが効かなくなるのが怖かった。
公演を見に行くために仕事や家族に迷惑をかけたくなかったし、貯金を崩すようなことはしたくなかった。
一度歯止めが効かなくなれば、家族や友達の信頼も、お金も、そして何より推しの信頼も、全てを失ってしまいそうだったから。
推しの太客が推しから冷たくされたのは、推しへの要求がエスカレートしていたからだと思う。
推しは、指図されるのが嫌いだった。
彼女は推しが「頼んでも(ファンサービスを)やってくれない」とよく不満を口にしていた。彼女は、自分の願いを聞いてくれる『推し』を求めていたのだろう。
そうやってファンが入れ替わりながら、暑い夏は中盤に差し掛かっていた。
〜つづく〜
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