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「新しい資本主義」じゃなくてこっちでしょ。『ここにある社会主義』まえがき〜第1章を公開!(1/3)

今月の新刊『ここにある社会主義――今日から始めるコミュニズム入門』(松井暁著)は、2023年の今、真正面から「社会主義」の可能性を論じる意欲作です。今さら? いえいえ、今こそ! 社会主義=コミュニズムこそが人類の希望だと力強く語る本書のエッセンスを知っていただくために、noteでまえがきと第1章を3回に分けて公開します。

大月書店編集部

著者について

松井 暁(まつい さとし)
1960年生まれ.専修大学経済学部教授.専門は経済哲学,社会経済学.
主な著書に『自由主義と社会主義の規範理論――価値理念のマルクス的分析』(大月書店,2012年),Socialism as the Development of Liberalism: Marxist Analysis of Values(Palgrave Macmillan, 2022). 主な訳書に,G・A・コーエン著『自己所有権・自由・平等』(共訳,青木書店,2005年),F・カニンガム著『民主政の諸理論――政治哲学的考察』(共訳,御茶の水書房,2004年).

著者近影

まえがき

1980年代以降、資本主義を徹底する新自由主義が、先進資本主義諸国をはじめ世界各国を席巻しました。その結果、国内的にも世界的にも貧富の格差は拡大し、地球温暖化による気候変動は深刻な被害をもたらしています。
この状況に対して、新自由主義からの転換を唱える「〇〇資本主義」論が、続々と提案されています。それらはおよそ2種類に分けられます。
一つは、「人間のための資本主義」、「幸福の資本主義」、「緑の資本主義」などの「新しい資本主義」論。もう一つは、「ポスト資本主義」、「超資本主義」などの「脱資本主義」論です。

「新しい資本主義」論に共通する特徴は、いずれも資本主義を前提にして何らかの改革を訴えていることです。「脱資本主義」論のほうは、資本主義ではない社会をめざすように見えますが、その内容をよく見ると、ほとんどの場合は将来社会の具体像が不明確で、特に資本主義が存続すべきかどうかについて態度が曖昧です。
かつてイギリスのマーガレット・サッチャー首相は、"There is no alternative." すなわち新自由主義の他に「選択肢はない」と強弁しました。この主張はTINAと略され、突きつめていえば「資本主義以外の選択肢はありえない」ことを意味します。「資本主義以外の選択肢」とは、資本主義の原理である利潤追求を否定した社会主義に他なりません。
「新しい資本主義」論者が資本主義を前提にしているのは、TINAを受け入れているからです。「脱資本主義」論者にしても、ほとんどの場合、対案として社会主義を正面から掲げられないのは、その可能性を否定しているからであり、広い意味ではやはりTINAの枠内にいます。

アメリカにあるサッチャーの銅像(Photo by Kingpin1000 - CC BY-SA 4.0)

「〇〇資本主義」論者はなぜ社会主義を忌避するのでしょうか。その原因は、特に1980年代末から90年代初めにかけてソ連・東欧国家体制が崩壊して以降、彼らが社会主義への期待を完全に失ったことにあります。貧富の格差や気候変動の問題を深刻に受けとめ、資本主義を「脱した」社会を待望する進歩的な人々でさえ、社会主義と聞くと後ずさりしてしまうのです。
したがって、もし社会主義に対する認識を改め、これに少しでも可能性を見いだすことができるならば、「資本主義はよくないけど、それと付き合っていくしかない」という踏ん切りがつかない態度を捨てて、TINAを堂々と拒否することができるのではないでしょうか。

そこで本書の目的は、社会主義の意義を根本に立ち返って再考し、今日におけるその可能性を探求することにあります。ここでは、この目的を果たすために本書で強調したい三つの点を挙げます。

第一は、「社会主義イコールソ連・中国」という固定観念を払拭することです。
そもそも社会主義とは何でしょうか。人間は社会の中でこそ自己を実現できます。そのためには、共同体社会を支える経済的な仕組みが必要です。それが共産主義(コミュニズム)社会であり、会社のような生産手段を労働者・市民が所有し、民主的に運営することです。このような社会を追求するのが社会主義の運動です。
社会主義をこのように理解すれば、ソ連・中国が社会主義でないことは明白です。ソ連は、共産党幹部と国家官僚が企業や工場を中央集権的に管理して、労働者を支配し搾取する、社会主義とは無縁の国家体制でした。現在の中国は、アメリカに次ぐ数の富豪を擁しており、経済的には紛れもなく資本主義ですし、政治的には権威主義であって、社会主義という看板は偽りです。

第二に強調したいのは、社会主義は私たちにとって決して疎遠なものではなくて、どこにでもある身近なものだということです。
人類700万年の歴史をふり返ると、人間は競争ではなくて共同によって進化を遂げてきました。紀元前1万年に農耕・牧畜が始まるまでは、共同体の中でメンバーが協力して経済活動にあたり、生産物を平等に分配する原始共産主義の時代が続きました。
また、第二次世界大戦後に多くの先進国で社会民主主義派が推進した福祉国家の中にも、社会主義の要素を見いだすことができます。
福祉国家は1980年代以降、新自由主義による攻撃を受けましたが、今日に至るまでその枠組みは維持されています。日本でも国民皆保険・皆年金のように社会主義的な制度は定着しています。また特に北欧の福祉国家では、市場経済と国家の比重を徐々に減らして、共同的なアソシエーションの比重を増やそうという方向性が見られます。
冷戦時代からの思考法が尾を引いているのでしょうか、社会主義と自由主義は真っ向から対立する思想として捉えられがちです。しかし実は社会主義とは、個人の自由といった自由主義の理念を実質化しようとする思想であり、この点で自由主義の継承者なのです。それゆえ自由主義社会に生きる私たちにとって、社会主義は「ここにある」ものなのです。

「民主的社会主義者」を自称し若い世代の支持を集めたバーニー・サンダース(Photo by Steve Rainwater from Irving, US - img_6200, CC BY-SA 2.0)

第三の強調点は、社会主義は今日における経済の発展段階に適した新しい社会システムを構築する、最先端の運動だということです。
今日、日々の仕事や生活に不可欠なプラットフォームやビッグデータは、GAFAMのような巨大IT企業が独占していますが、これらのサービスは高い公共性を備えており、市民が自由に使えるほうが効率的です。つまり情報化段階を迎えた経済では、資本主義よりも社会主義のほうが適しているのです。
社会の生産力が急速に発展する中で、福祉国家を超えた、共同的な経済活動に基づく社会、すなわち共産主義社会が近づきつつある予兆が出現しています。CSR(企業の社会的責任)やSDGs(持続可能な開発目標)の普及は、経済活動の目的は利潤追求だけではないという認識の広まりを示しています。さらに、社会的連帯経済や自治体主義(ミュニシパリズム)といった、社会主義につながる実践が続々と登場しています。
2020年代の現在、共産主義社会への移行を追求する社会主義の可能性はますます高まっています。社会主義は「すぐそこにある」のです。
読者のみなさんが、本書を通じて社会主義への認識を刷新ししてくだされば、著者としてこれに勝る喜びはありません。

続く第1章は後日公開します。お楽しみに!

『ここにある社会主義』目次

まえがき
第1章 ここにある社会主義
第2章 社会主義を捉える視角
第3章 自由主義と社会主義
第4章 生産手段・労働・分配
第5章 共同体・国家・市場
第6章 人類史からみた社会主義
第7章 「社会主義」を自称した国々
第8章 競争と共同
第9章 生産の社会化
第10章 社会民主主義
第11章 社会主義の予兆
第12章 まとめ


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