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6歳で「移民」になった少女が15年かけて書き上げた半生記〜『ふるさとって呼んでもいいですか』ができるまで

はじめまして。大月書店編集部の岩下結といいます。
今日は、私が編集した新刊をご紹介させてください。

ちなみに私、当年とって40歳。編集者としての仕事歴は18年になります。たくさんの本を担当してきましたが、今度の本はその中でも特別に思い入れのあるものです。
なんといっても、企画したのが15年前、それがやっと世に出るのですから!
15年かけて書いた著者と、待ち続けた私、どっちが気が長いんだか。。。。

もちろん、著者も私も15年ただサボっていたのではありません。いろんな紆余曲折があって、ここまでかかったというのが実際のところです。

その本とは、こちら。
『ふるさとって呼んでもいいですか――6歳で「移民」になった私の物語』(ナディ著 山口元一解説 6月17日発売)

イランからの出稼ぎ労働者の家族として来日した少女が、日本社会で育ち、日本を故郷と思うようになるまでを描いた自伝です。

あれこれ書くよりも、作家の星野智幸さんが寄せてくださったすばらしい推薦の言葉をお読みいただくほうが早いでしょう。

“30年間、この本の登場を待っていました!
「デカセギ」で海外から日本にやってきた人たちの子どもが、自分の言葉でその人生を語る日を、ずっと待ち望んできました。
その言葉の、なんと新鮮で血が通っていて胸に響くこと! 
語ってよいのだ、自分の言葉で自分を語ることは自分がここにいることの証明そのものなのだ、という思いにあふれていて、誇りを感じます。
私たちの社会は今、こんな豊かさを手にしているのです!”

この推薦文を読んだだけで、「よし買った!!」と思ってくださった方は、
もちろん無理に続きを読んでくださらなくても、そのままネット書店でポチっていただくか、お近くの書店でお取り寄せいただければ私としては十分です。
ただ、「どうして15年もかかったの?」と興味を抱いてくださった方は、少々お付き合いいただけたらより嬉しいです。

本書の著者であるナディさんと知り合ったのは、彼女が高校3年生、私が編集者として仕事を始めてまだ3年も経たないころだったと思います。

すらりとした長身に彫りの深い顔立ち。日本人離れした外見に対し、話す言葉はごく普通の女子高生ふうな日本語というギャップが印象的でした。

それもそのはず、彼女は6歳からずっと日本で育ち、日本の小中学校に通ってきたのです。来日してから17歳まで実に11年の間、超過滞在(いわゆる「不法滞在」)の状態でした。高校1年のとき、在留特別許可という特例措置によって、ようやく合法的な在留資格を得ることができたのです。

そんな話を聞いて、彼女の生い立ちを書いてみたらどうかと提案したのでした。

当初から彼女に一冊の本が書けると確信していたわけではありません。
ライターさんに取材して書いてもらうとか、彼女以外にも様々なルーツを持つ人のエピソードを複数まとめるといった方法も考えました。
でも、試しに書いてもらった原稿はとてもおもしろく、幼い頃のエピソードもしっかりした記憶に基づいて書かれていました。

同じ日本に生きていながら、彼女の眼に映る社会は私たちのそれとはまったく違っていました。私たちにとって当たり前のことも、異国(それもイスラム教の国)から来た女の子の目には、こんなにも不可思議な世界に映っていたのか!と思わされます。
そんな謎だらけの世界で、努力と気合いでなんとかかんとかサバイバルし、出会った人たちの優しさにも助けられながら生きてきた彼女と家族。そのひたむきさに、原稿を読みながら何度も胸がつまりました。

【イラスト=伊藤ハムスター】

最初の原稿は、依頼してから1,2年後にほぼ完成したと記憶しています。
しかし、私が会社を移ったり、彼女が大学を卒業し就職したりといった転機が重なり、書き進められない時期がしばらく続きました。
過去を振り返り、現在のアイデンティティを言葉にすることは、それだけ彼女にとって負荷の大きい仕事だったのです。
いつか、本人が書こうと思えるようになれば……そう思って待ちましたが、忙しさにかまけて連絡を怠るうちに時がすぎ、いつしか連絡先もわからなくなってしまいました。

でも、頭のどこかにはずっと、あの原稿をお蔵入りにしてはもったいない、という思いはありました。

2010年代にはヘイトスピーチも大きな問題になり、「移民社会」が正面から議論される時代が訪れました。
もう一度お願いしてみよう。そう思い立ち、ネット上で手がかりを手繰ってコンタクトをとり、そこから本の計画が再始動しました。
再会したとき、すでにお互い30代になり、ナディさんは結婚し出産を控えていました。

15年の時間のなかで、時代も変化し、ナディさん自身の気持ちも変化しました。それは本の内容も変えることになりました。
当初は書かれていなかった思春期のアイデンティティをめぐる葛藤や、祖国イランへの複雑な思いも綴られています。
それらを言葉にするまでにどれほどの逡巡を経たかは、本書の「あとがき」でも語られています。それを読んだ私は、そんなにも苦しい作業を彼女に求めていたのだと今更ながら理解し、書き上げてくれたことへの感謝を新たにしました。

日本が否応なく「移民社会」になっていくこと、そのために日本社会の側が変わらずにいられないことが、近年ようやくメディア上でも語られるようになってきました。
でも、日本で働く外国人が置かれた環境や、その子どもたちの困難は、多くが変わらないまま放置されています。

学校に通えても、教科書の漢字が読めない子はどうしたらいいのか。
両親とも日本語ができない家庭で、学校からの「おたより」は誰が読むのか。
イスラム教徒の女の子も、決められた体操着やスクール水着を着なくてははらないのか。

ナディさんの経験は、当事者としての経験から、異文化ルーツの子どもたちが何を思い、何を必要としているかを私たちに教えてくれます。

同時に、彼女と家族が、試行錯誤しながらも地域の中でさまざまな人と信頼関係を結び、日本社会の一員として定着してきた経験は、私たちが国籍や文化の違いを超えて共に生きることができはずだという、前向きな確信を与えてくれます。

この本にはちょっとした「仕掛け」もしました。最後まで読んでいただくと、その「仕掛け」の意味もおわかりいただけるはずと思います。

15年ごしの労作ですが、決して堅苦しい本ではありません。端々でクスリと笑い、読み終えるころにはナディさん一家を、皆さんの身近な友達の家族のように感じてもらえると思います。

皆さんのご感想がいまから楽しみです!

岩下 結/大月書店編集部。過去に担当した本に『刑務所しか居場所がない人たち』(山本譲司著)、『フェイクと憎悪』(永田浩三編著)ほか。

こちらで立ち読みが可能です。




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