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「会社」がコミュニズムを準備する?!〜『ここにある社会主義』第1章を無料公開(3/3)

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前回(第1章前半)はこちら

人間性の開花

では社会主義は、なぜ人々が社交しコミュニケートする社会をめざすのでしょうか。それは、そのような社会でこそ人間は自己実現できるからです。自己実現は、潜在能力の自由な現実化外面化という二つの要素からなります*1
潜在能力の自由な現実化とは、自分のもてる潜在能力を自由に、納得がいくまで発揮することです。どのような能力を発揮するかは、その人の好みによって異なるでしょう。また、どの程度まで発揮できるかも人それぞれでしょう。そこには絶対的基準などありません。自分の人生の中で、やりたいことを思う存分やり遂げることが、自己実現の第一の要素です。
潜在能力の自由な外面化とは、社会の中で自己の能力を発揮することです。たとえば歌が上手で、しかも歌うのが大好きなAさんがいたとします。Aさんは自分の部屋で一人で歌っていても、ある程度は楽しいかもしれません。しかし、多くの聴衆の前で自分の歌声を披露し、その中に歌声を聴いて感動してくれる人々がいたなら、Aさんにとってもこんなに喜ばしいことはないでしょう。自分の好きな歌を歌って、しかもそれを聞いて喜んでくれる人たちがいたとき、Aさんは自己実現できたと感じるでしょう。これが自己実現の第二の要素です。

第二の要素である外面化をめぐっては、自由主義と社会主義の間で意見が異なります。ここでいう自由主義とは、個人の自由こそが最も大切であるという思想で、個人主義と呼びかえても差し支えありません。自由主義の考える自己実現は第一の要素だけですが、社会主義は第二の要素が加わって初めて自己実現が可能になると考えます。
第8章で詳述するように、資本主義社会では諸個人の人間関係が分断され、互いに競争させられます。その結果、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)の普及にもかかわらず、諸個人の孤立化が進行し、社交やコミュニケーションが阻害されます。
人々が社交しコミュニケートする社会を社会主義がめざすのは、自己実現には第一の要素だけでなく、第二の要素があるからです。人間が自己実現するためには、人々の間の社会関係がどうしても必要なのです。人間が社会の中で自己実現することは、「人間性の開花」と呼ぶこともできます。社会主義は社会関係の発展を通じて、人間性の開花をめざす思想なのです。

*1…Jon Elster, “Self-Realization in Work and Politics”を参照。

生産手段の社会的所有

人間性の開花のために、人々が社交しコミュニケートする社会をめざすというだけなら、歴史的に見ても宗教や道徳に似たような考え方を見いだすことができます。一人ひとりがそのような気持ち(「優しさ」や「他者への思いやり」)をもつことが大事だという議論もありえますが、そうなると、そのような気持ちをもてるかどうかという心がけの問題になってしまいます。
ですから、このような社会をめざすというだけでは、社会主義の説明としては不十分です。人々が社交しコミュニケートする社会をつくるためには、それを可能にする経済的な仕組みが必要だというのが社会主義の考えです。
少数のお金持ちと多数の貧乏人からなる社会では、金持ちが貧乏人に命令し、貧乏人どうしは競争を強制されます。このような状況では、金持ちと貧乏人の間はもちろん、貧乏人の間でも「社交しコミュニケートする」ことは困難です。つまり、人々が協力しあえる条件は、人々の間に経済的格差がなく、みんなが対等な立場で向きあうことなのです。

それでは、社会のメンバーの間に階級や格差をなくすにはどうすればよいでしょうか。一つの答えは、お金持ちから税金を集め、それを貧しい人々に再分配することでしょう。実際に、福祉国家のもとでこのような政策が実施されてきました。しかし第10章で述べるように、福祉国家のもとでも格差はなくなりませんでしたし、今日ではそもそも福祉国家が立ち行かなくなっています。
なぜかというと、福祉国家は、生産手段を所有する資本家と、それをもたない労働者からなる資本主義経済を前提にしています。そこでは資本家が自らの利潤追求のために、労働者がつくりだした生産物を搾取します。しかもグローバル化と情報化が進んだ現在では、資本家の得る利潤はますます増え、労働者はいっそう貧困化していきます。

2011年の「ウォール街を占拠せよ」の参加者(By David Shankbone - Own work, CC BY 3.0)


ですから、現時点において格差を廃止するには、資本家と労働者という階級の違いを廃絶し、生産手段を社会的所有にするしか方法がありません。生産手段とは、具体的には土地・道具・機械・原材料などのことで、現代では会社をイメージしてもよいでしょう。社会的所有とは、私的所有の反対語で、社会の一部の人が私的に所有するのでなく、社会のメンバーみんなで所有することです。

生産手段の社会的所有は、人類700万年の歴史において、そのほとんどを占めるくらい普遍的でした*2 。原始時代の人々は道具を共有し、協力して獲物を捕らえ、それらを平等に分配しました。それゆえ、階級が生じることはありませんでした。つまり原始時代は社会主義が基本だったのです。
ところが原始時代の終わりごろに、生産手段を独り占めした階級が、それを奪われた民衆を搾取する階級社会が登場します。そして奴隷制社会、封建制社会、現代の資本主義社会へと至るのです。

資本主義社会における代表的な生産手段は会社です。会社は英語でカンパニー(company)です。カンパニーはもともと仲間という意味ですから、会社とは多くの仲間が集まる場のことです。会社という文字をひっくり返すと社会になります。社会はソサイエティー(society)の訳語で、多くの人々の集まりです。ソサイエティーは協会や学会のような「会」という意味でも用いられますから、カンパニーもソサイエティーもほとんど同じ意味です。フランス語では、ソシエテ(societe)は社会と会社のどちらの意味でも使われます。明治期に二つの言葉を区別するために、会社と社会という訳語があてられました*3。つまり会社では、経済活動が多数の人々の協業によって支えられています。
にもかかわらずこの社会では、グーグルのような巨大な会社を一握りの資本家が所有しているために、貧富の格差がますます大きくなり、人々は互いに競争させられ分断されています。会社経営において、株主・経営者に限らず、そこで働く労働者や顧客としての市民など、あらゆる利害関係者をステークホルダーといいます。社会主義は、こうした大企業をステークホルダーによる管理・運営下におくことによって、人々が相互に協力し信頼しあえるような社会をめざすことともいえます。

コミュニズムが「共同主義」ではなくて「共産主義」と訳される理由も、生産手段の社会的所有にあります。定期的に入る給料のような所得に対して、貯蓄・土地・家屋のように保有された財産を資産と呼びます。後者のうち、工場や会社のような生産手段が生産的資産です。共産主義の「産」とは生産的資産のことであり、生産的資産を共同所有するので共産主義という訳語をあてたのです。

このように社会主義も共産主義も、その究極目標は人間性の開花であり、そのために人々が社交しコミュニケートしあう社会をめざします。そして、それを可能にするためには、生産手段を社会的所有にせねばならないと主張してきたのです。
上述のように、生産手段の社会的所有は、歴史的に見ればごく当たり前でした。ところが、生産手段の私的所有を前提にする、現代の資本主義社会に生きる私たちからすると、生産手段の社会的所有は実現不可能な空想のように見えます。
本書を通じて私は、生産手段の社会的所有を制度的条件とする社会主義が、決して「どこにもない」ものではなく、「どこにでもある」、または「ここにある」ことを明らかにしたいと思います。

*2…人類の誕生をいつとするかは諸説があります。本書では、直立歩行するヒト類が出現した700万年前としておきます。
*3…柳父章『翻訳語成立事情』を参照。

(1章おわり)

著者について

松井 暁(まつい さとし)
1960年生まれ.専修大学経済学部教授.専門は経済哲学,社会経済学.
主な著書に『自由主義と社会主義の規範理論――価値理念のマルクス的分析』(大月書店,2012年),Socialism as the Development of Liberalism: Marxist Analysis of Values(Palgrave Macmillan, 2022). 主な訳書に,G・A・コーエン著『自己所有権・自由・平等』(共訳,青木書店,2005年),F・カニンガム著『民主政の諸理論――政治哲学的考察』(共訳,御茶の水書房,2004年).

『ここにある社会主義』目次

まえがき
第1章 ここにある社会主義(←イマココ)
第2章 社会主義を捉える視角
第3章 自由主義と社会主義
第4章 生産手段・労働・分配
第5章 共同体・国家・市場
第6章 人類史からみた社会主義
第7章 「社会主義」を自称した国々
第8章 競争と共同
第9章 生産の社会化
第10章 社会民主主義
第11章 社会主義の予兆
第12章 まとめ


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