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コロナ禍で疲弊するケアラーの姿に見える障害者福祉の「家族依存」(前編)(児玉真美)

児玉真美(フリーライター、一般社団法人日本ケアラー連盟代表理事)

私たちの社会に元からあった矛盾

 この緊急企画「社会的距離〈Social Distance〉を超えて」の趣旨説明のページに、以下の一節がある。

私たちの社会に元からあった矛盾や分断――貧者と富者の差、母子家庭や外国籍住民の困難、説明責任や透明性に背を向ける政治、特定の人々への差別や敵視など――が、この危機によってあらためて露呈したとも言えるのではないでしょうか。

 コロナ禍で露呈される平時の矛盾のさまざまな実相に直面している多くの人たちが、この下りに深く共感することだろう。私もその一人だ。身体的にも知的にも重い障害のある娘を持つ63歳の母親である私にとって、「私たちの社会に元からあった矛盾」のひとつは、介護を家族でどうにかするべきプライベートな問題とみなしてきた日本の福祉のありようだ。

 2000年の介護保険制度の導入とともに「社会化」が目指されたはずの介護は、その後の財政逼迫に伴って、またぞろ家族に押し戻されてきた。一方、障害児者のケア領域では、もともと親、とくに母親によるケアは、子どもがいくつになっても「育児」のイメージの中に取り込まれて、親は死ぬまで介護を担うのを当たり前と捉える空気が依然として社会に蔓延している。
 障害者の生活と権利を守る全国連絡協議会が2014年から2015年に行った「障害児者・家族の暮らしと健康実態調査」によると、主たる介護者の90%以上が母親。そのうち60歳以上が67%を占めている。
 母の愛さえあれば、どんな過酷な育児も介護も苦しいと感じることなくやり遂げられるはず――。そんな世間の母性への幻想は、私たち母親自身のうちにも無意識に内面化され、打ち崩すどころか自覚することすら難しい。私もかつて、心身の限界を常に試され続けるような苦しい子育てに疲弊しながら、自分から助けを求めることができなかった。むしろ、苦しいと感じる自分を「母親なのに」と責めては、さらに頑張り続けるしかない袋小路へと自分を追い詰めていった。
 天職と考えていた英語教師の仕事を慙愧の思いで手放してもなお過酷な状況が続き、ついに心を病んで、娘を施設に入れる選択をせざるを得なかった。自身の喪失感も娘への罪悪感も、その後の年月の間ずっと長く尾を引き、なぜ障害のある子どもの母親だというだけで自分自身の人生を歩むことを許されないのだろう、なぜ母親は助けを求める声を上げにくいのだろう、と割り切れない思いを胸に抱えてきた。

海 オムライス完食 1

長女・海と筆者

ケアラー支援との出会い

 その思いを受け止めてくれたのは、フリーライターとして仕事をするようになって数年後に出会った、海外の「ケアラー支援」だった。先進国の英国では1995年の早くにケアラー法ができていた。無償で家族や友人の介護を担うケアラーを、働いたり学んだりしたいという欲求を持った個人として認めたうえで、公的な支援を謳う。その後も法改正や新たな法制定が繰り返され、そのたびにケアラー個人の権利を擁護する姿勢が明確化されてきた。2014年のケア法では、介護者に介護を受けている人と同等の権利が認められ、すべてのケアラーに、要介護者とは別途ケアラー個人のニーズのアセスメントを受ける権利、アセスメントに基づいた支援を受ける権利が明記された。
 介護している側にも支援を――。障害のある子どもの母親には疲れることも病むことも許されないのか、自分はもう単なる「療育機能」や「介護役割」でしかないのか……と、うなだれていた私には、鮮烈な出会いだった。
「介護されている人だけではなく、介護している私も支えて」「ケアラーだって生身の人間」「要介護者とは別途、ケアラーその人のニーズを」「ケアラーには『これ以上できません』という権利がある」などなど、英語圏のケアラー支援のメッセージを知るにつれ、まったく同じ言葉が本当は私自身の胸の内にもずっと封じ込められていたことに気づいていった。
 そうか、言ってもよかったんだ、言わないとわからないのだから。つらさを訴えてもいいんだ、生身の私たちにできること、耐えられることには限界があるんだから。支援を求めてもいいんだ、私たちにも自分自身の生活があるのだから。自分の人生を生きる権利があるのだから――。
「ケアラー支援」は私にとって、重い障害のある子をもつ母親も、疲れもすれば、時に病みもする生身の人間であることの承認であり、「療育機能」や「介護役割」から「擁護されるべき権利を有するひとりの人」への復権とも感じられた。

日本でも、3月に初の「ケアラー支援条例」誕生

 日本でも同様の法整備を目指して、2010年に一般社団法人日本ケアラー連盟が2010年に立ち上げられた。私も翌年から理事に名前を連ねている。団体名を「介護者」ではなく敢えて「ケアラー」としているのは、「介護」からイメージされがちな高齢者を介護する人だけでなく、障害児者や難病患者の介護、引きこもりや依存症の人へのケアや見守りをしている人なども広く支援の対象として射程に捉えていくため。
 つい最近、連盟のこれまでの活動が大きな実を結ぶ、画期的なできごとがあった。3月27日、埼玉県で日本初の「ケアラー支援条例」が制定されたのだ。「全てのケアラーが個人として尊重され、健康で文化的な生活を営むことができるように」支援を行うことなどを明記し、そのための推進計画の策定を県に義務づけた。日本ケアラー連盟は同日、声明を出して歓迎、祝福した。その声明の一節には以下のように書かれている。

ケアラーには、いまだ介護は家族がするものという考え方のもと、ケアラー自身に焦点を当てた社会的支援の手が及んでいませんでした。本条例は、被介護者を支える陰の存在だったケアラーに光をあて、社会的に認知し支援するところに最大の意義があります。

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条例化に尽力した議員に市民団体から贈られたケーキ

コロナ禍でもケアラーは「見えない存在」のまま

 しかし、同じ3月末に急速に広がり始めていた新型コロナウイルス感染への対応においても、その報道においても、やはりケアラーに光は当たっていなかった。
 一斉臨時休校による子育て家庭の負担増は連日のように報じられても、特別支援学校の休校によって障害のある子どもたちのケア負担が急増している家庭や、日ごろから高齢者や障害児者等のケアがあり、そこに日中の子どもたちの世話が追加される家庭にも、社会が目を向けることはなかった。
 医療崩壊の懸念が連日のようにテレビで取り上げられ、4月の半ばからは介護崩壊の問題も話題に上るようになったが、多くは事業所における介護崩壊の議論であり、在宅で介護を担う家族ケアラーの窮状には今なお十分に目が向けられているとはいえない。 

ケアラーに緊急Webアンケート――介護時間も負担も急増

 日本ケアラー連盟では3月21日から30日まで、ウェブ上で緊急にケアラーへのアンケートを実施し、381名から回答を得た。その結果の詳細はこちら。新型コロナウイルス感染拡大の影響で多くのケアラーの生活が変わり、介護負担の急増とともに疲労とストレスが増している実態が明らかになった。


 要因のひとつは、臨時休校や介護・支援サービスの休止や利用自粛により介護時間が長くなった(平均5.7時間の増)こと。

「リハビリ、就労支援がすべてキャンセルになった」
「ショートステイやデイサービスが利用できず、要介護者が家にいるので、自分自身のことや家事ができなくなった」
「在宅で長男を介護しながら小学生二人の世話に追われる毎日で、自分の用事は一切できずにいます。手が足りなくなることも多く、自分のご飯はスキを見つけてつまみながら凌ぐ日もあります。介護と子育てのダブルでとてもしんどいです」
「私自身4か所の医院に通っていますが、自分のをキャンセルすることも」

 マスクやアルコール消毒液その他、ケアに必要な医療資材、衛生資材が不足していることも大きな不安要因、ストレスとなっている。

「胃ろうケア用のガーゼが不足してきており市販での入手が困難です」
「マスクや消毒液を購入するために障害児を連れて並ぶことが難しく、今の在庫がなくなってしまったら、と考えると不安しかない」

生活変化で介護が複雑化、もともと多重介護の人も

 また、生活の変化が要介護者の心身のストレスとなり、それぞれの障害特性により介護が複雑化するため、ケアラーへの負担が増している。

「要介護者のリハビリ、外出機会が中止・減少し、要介護者の体力が落ち、体調管理ができない」
「移動支援での行き先や、公共交通機関の制限なども出てきて困っている。子ども自身が理解できないため、自傷行為を起こしている。不安で仕方ない様子。見通しが立たない不安からイライラしている」
「暴言や暴力が出現しやすい障害や病気を持つ人を含む家族が、どのようにして家の中で過ごしているのか知りたい」

 この先さらに、医療や福祉のサービスがこれまで通りに受けられなくなっていくのではないか、との不安も大きい。

「子どもの一人は重度自閉症で、変化を恐れる。万が一通所先が閉鎖になったら預けるところはなく、すべての負担が家族にかかってくる」
「24時間365日、呼吸器をつけた全介助が必要な息子を介護しています。数時間の通所や訪問看護やヘルパーさんなどの医療、福祉サービスが利用できなくなると、たちまち在宅生活がひっ迫してきます」

 また、アンケートで再認識させられたのは、多重介護家庭の多さだった。複数の人をケアしている人は6人中1人に迫る。その「多重」の内実も多様で複雑だ。

「重度自閉症の子どもの他、もう一人の子は軽度発達障害とうつを併発していて、知的な遅れがないぶん事情が分かってしまうので一人で我慢しようとし、情緒不安定が強く出ている。夫にも発達障害の傾向があるためサポートは期待できず、家の中を『普通』の状態につなぎとめるのがだんだん厳しくなってきた」
「寝たきりで終末期の母と自閉症の息子のダブルケアをしています。幸いたくさんの支援に助けてもらっています。でも、ケアする私のことも誰か助けてほしい」

ケアラー自身が感染したら、要介護の家族は……?

 このような過酷な介護生活を送る多くのケアラーにとって、もっとも大きな不安は、自分自身が感染したり濃厚接触者となったりした際に、介護している相手はどうなるのかという問題だ。

「当事者の妻は精神障害と身体障害をあわせもっており……ケアラーである私の方が寝込むだけでも、ましてや隔離・入院となると、彼女の生活がたちまち立ちゆかなくなるので、心配」
「3歳の医療的ケア児を育てています。自分がコロナに罹患して入院した場合、子どものケアができる人が周りにいないので不安です」
「母子家庭で障害児を育てています。もし家族の誰かが感染して隔離になった場合は残っている子どもの面倒はどうするか? 障害がある子が残っている場合は? 濃厚接触者になるとショートステイ、デイサービスの利用も制限されると思うと不安で仕方ない。自分も乳がんなので感染した場合のリスクは高く、もし死亡した場合は子ども達はどうなるのかと考えだしたらキリがない」

 一方、自分が感染した時の代替策を考えているかを複数回答で問うたところ、「まだ考えていない・どうしたらよいのか分からない」と答えた人が52%だった。

「要介護者が入院した際、通常の入院で求められる家族や施設職員の付き添いはどうなるのか? 意思疎通が大変難しい息子に治療を理解させて実行するための支援はできるのか? 自閉症の困難な現状を理解し、またその治療や看護をできる医療従事者はいるのか? また介護者が入院したさい、濃厚接触者の息子や娘は誰が介護するのか? ショートステイも利用不可能になることが想定され、どうすればよいのか全くわからない」

 多くのケアラーたちが、新型コロナ感染拡大で急変した不自由な生活の中で、多大な負担を抱え、心身のストレスに押しつぶされそうになりながら、万が一への不安に脅かされて暮らしている。

後編へ続く。5月29日ごろ公開予定です)

児玉さん写真

(こだま まみ)フリーライター。一般社団法人日本ケアラー連盟代表理事。著書に『私は私らしい障害児の親でいい』(ぶどう社)、『海のいる風景――重症心身障害のある子どもの親であるということ』『殺す親 殺させられる親――重い障害のある人の親の立場で考える尊厳死・意思決定・地域移行』(ともに生活書院)、『死の自己決定権のゆくえ――尊厳死・「無益な治療」論・臓器移植』(大月書店)ほか。最新刊に『私たちはふつうに老いることができない――高齢化する障害者家族』(大月書店)。


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