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コロナ禍でみえた高齢者介護の「現在」「過去」「未来」――ポストコロナに必要なのは〈回復〉ではなく〈転換〉(林泰則)

林 泰則(全日本民主医療機関連合会)


 新型コロナウイルス感染症(コロナ禍)の拡がりは、介護事業所、利用者双方にきわめて深刻な困難をもたらしており、「介護崩壊」の危機に直面している地域や事業所もある。これは、公的な介護保障の枠組みが劣化してきたことによって生じた困難やリスクが大きな犠牲を払って表面化していることを意味しており、政府が推進してきた新自由主義的な社会保障構造改革のひとつの帰結ともいってよいだろう。現時点での介護現場の現状を紹介し、コロナ禍のもとで露呈している現行介護保険制度の問題点、今後向き合うべき課題について考えてみたい。

 「不安と緊張」、「感染予防」と「生活支援」の板挟み

 さまざまな基礎疾患を抱える高齢者が多数利用・入所している介護事業所は、もともと感染リスクが高い環境にある。コロナ禍のもとで現場の職員は、「感染しないか」「感染させてしまわないか」「感染者が出ると事業の継続が困難になるのでないか」等々、極度の不安と緊張を強いられながら日々の介護にあたっている。
 こうした事態をつくりだしている原因のひとつが、マスクや消毒液など衛生材料の絶対的な不足だ。全日本民医連の緊急調査(回答67法人)では、4月上旬で約7割の法人がマスクの在庫が必要枚数の4割を切っていると回答し、すでに在庫ゼロという法人もあった。多くの事業所は「1週間に1枚を限度に職員に配布」「使い捨てマスクを洗濯して何度も使用している」等の対応で何とか凌いでいるものの先はまったく見通せない。衛生材料の不足によって十分な感染予防策を講じられないことが、職員の不安や緊張をいっそう加速させている。

 日常のケアの場面では、食事や入浴介助の際の身体的な接触が避けられず、丁寧なコミュニケーションも不可欠であり、そもそも「密」を回避すること自体が難しい。利用者から声が聞き取りにくいとマスクを取ることを求められたり、認知症の高齢者でマスクの着用、距離の保持、手洗いなどが難しいケースがあるなど感染リスクを高める事態にも日々遭遇する。緊急事態宣言発令以降、デイサービス(短期入所)事業所を中心に休業が急増していることが報告されている*1。多くは「集団感染の不安」を理由とした「自主」休業だが、利用者を抱える事業所にとっては苦渋の選択だろう。なかには自治体が休業を要請する場合もあり、事業所は緊張の度合いをいっそう高めている*2。医療の深刻な状況の前に目立たない感があるが、高齢者施設においても集団感染が発生しており、感染者・死亡者が増加している※3。
 介護事業所と職員は、感染リスクを常に背負い、「感染予防」と「生活支援」との板挟みになりながら利用者に日々向き合っている。

*1 厚労省調べ。緊急事態宣言が全国に拡大された4月16日前後の1週間でデイサービスを中心とする介護事業所の休業が909カ所に増え前週の1.7倍となった。
*2 名古屋市では3月6日から2週間、デイサービス事業所2カ所で集団感染が発生したため、緑区と南区内の全デイサービス事業所(126事業所)に対して一斉休業を要請した。
*3 NHKの調査では、4月末までに特養などの高齢者施設で550人余り利用者・職員が感染し、約1割にあたる利用者60人が死亡したと報告されている。

 事業所、利用者が直面している危機

 介護事業所で利用者が大幅に減少している。前出の調査では、デイサービス事業所を中心に3月1カ月で通常時より1~2割、なかには3割以上減っている法人があった。人の出入りの多いデイサービスでの感染を不安視する利用者・家族の申し出によるキャンセルが多数だが、事業者の側が「密」を避けるため利用者数を減らしたり、新規利用の受け入れを中止したことによる減少分もふくまれる。
 利用者の減少は収益の減少に直結する。3月は8割の法人で収益が減り、前年比で3割近い減収になった法人もあった。さらにインターネットで割高のマスクを調達せざるを得ないなど、感染対策に伴う支出も増えている。事業所への介護報酬の支払いは2カ月先となるため、実際に経営上の影響が出てくるのは5、6月以降ということになるが、このままでは資金ショートを起こしかねないという切実な声も寄せられている。
 地域では多くの事業所で同様の事態に直面していることが推察される。とりわけ小規模の法人・事業所の経営の厳しさが指摘されており、仮に感染症が収束しても事業を再開するのは困難との声がすでに上がっている。現在の事態がこのまま長期化すれば、地域の介護サービス基盤を崩壊させることになりかねない。

 サービスの利用控え、事業所の受け入れ縮小・休業の影響は、利用者・家族にも大きな影響をもたらす。生活の変調、状態・疾病の悪化、外出制限による体力低下と転倒リスクの高まり、鬱症状の出現、認知症の進行(周辺症状の出現)などが危惧される。家族の介護負担が増大することが虐待につながることを不安視する声もある。デイサービスを減らした分を訪問介護で代替えすることを可能とする通知が厚労省から発出されているが、ヘルパー不足の中で対応するのは容易ではない。ケアマネジャーは必死にサービス調整をしているが、周辺事業所の休業、新規利用者の受け入れ中止によりサービス確保が困難になっており、事実上「介護難民」「介護弱者」が生じている実態がある。施設では面会が制限・禁止される中で入所者のストレスが増している。「面会できないために(認知症の夫が)自分の顔を忘れてしまうのではないか」という妻の悲痛な訴えも寄せられている。

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コロナ禍で焦点化した介護問題

 コロナ禍は、介護事業所の経営基盤の弱さを改めて突きつけた。その最大の原因は低く固定化されてきた介護報酬だ。これまで3年毎6度実施されてきた改定は、2009改定年をのぞきすべてマイナス改定もしくは実質マイナス改定だった。特に2012年改定以降、財務省の意向に沿って事業所の利益率(収支差率)を引き下げる改定に転じた影響は大きい。今般の休業、事業縮小によって、デイサービス事業所をはじめとする在宅サービスは、さらなる経営困難を抱え込むことになるだろう。
 同時に浮き彫りになったのは現場の人手不足の深刻さだ。熱発による自宅待機、消毒などの業務の増加、陽性者への対応、退職などにより、もともと十分とはいえなかった職員体制はいっそう厳しいものとなっている。なかでも際立っているのが訪問介護の現場である。以前から業界内で「絶滅危惧種」と称されるほどヘルパーの不足は深刻化していた。ヘルパー自身も高齢化しており、利用者を訪問すること自体に困難が生じている*4
 経済事情による利用格差の実態もコロナ禍は改めて顕在化させた。利用者の中には、年金が少なく特養の入居費用を工面できないため(特養の主流となっているユニット型個室の入居費用は月15万円前後)、デイサービスなど在宅サービスを利用しながら家族が介護しているケースも多い。リスクや困難が経済弱者に集中するという構造は、高齢者介護においても共通している。
 加えて、介護現場に対する政府の冷たい視線も露わになった。それは2020年度補正予算案の中に介護事業所に対する支援策がいっさい盛り込まれなかったことに象徴的に現れている。感染症に関わる一連の対応を通して感じられるのは、基本は「自治体任せ」であり、最終的には「事業所丸投げ」という政府のスタンスだ。このことは、介護保険が「地方分権の試金石」と位置づけられ、現物給付ではなく公的保障の度合いの薄いサービス費用補償方式(現金給付)を採っていることと無関係ではないだろう。

*4 2018年度のヘルパーの有効求人倍率は13.1倍(介護職全体は3.95倍)。また全労連調査によれば60歳以上のヘルパーが37.7%を占める一方、20代は1.0%にすぎない。

コロナ禍と「介護保険20年」

 コロナ禍が襲来したのは、2000年にスタートした介護保険が今年3月で施行丸20年を経過し、4月から21年目に入るという時期でもあった。
 そもそも介護保険は「介護の社会化」の期待を背負いながらも、新自由主義を土台に据えた政府の社会保障構造改革の流れの中で、高齢者医療費、高齢者介護・福祉費の削減を目的に創設された。それゆえ社会サービス制度に求められる「必要充足原則」から乖離した構造的欠陥を組み込んだ制度として設計され、施行後は、給付削減・負担増を先行させた政府の制度改革により、この欠陥が増幅の一途をたどってきた。その結果、介護保険は、“保険あって介護なし”と称される深刻な「機能不全」、低賃金構造を背景に常態化した「人手不足」、保険料の高騰により懸念される「財政破綻」という3つの制度的危機にすでに直面していた*5 。コロナ禍が介護保険のこうした危機的状態をいっそう加速させ、深化させることは明らかであり、同時に、制度の構造的欠陥が介護事業所の体力を奪い、感染症を拡大させる要因のひとつになっていることも見逃せない。
 コロナ禍のもと、地域では新たな「介護難民」「介護弱者」が出現しており、「介護崩壊」が起こり始めている。このままでは政府が目指してきた「持続可能な制度の実現」も、在宅の高齢者を支える「地域包括ケアの構築」も、家族介護の負担軽減による「介護離職ゼロ」も、一気に水疱に帰してしまうことになりかねない

*5 介護保険制度の創設、施行後の経過と現状について、岡﨑祐司編『老後不安社会からの転換-介護保険から高齢者ケア保障へ』(2017年、大月書店)、および拙稿「介護保険20年の変化、現在の動向と課題」(『いのちとくらし研究所報』所収、2020年3月・NO.70)参照


当面の、そして今後の課題

 介護事業所がコロナ禍で直面している困難の打開は、政府が総力を挙げて取り組むべき喫緊の課題であることを訴えたい。とりわけマスク、消毒液などの衛生材料の安定的な確保と供給には一刻の猶予も許されない。必要な介護サービスを切らさず、地域の介護基盤を維持していくうえで、すべての事業所を対象とした減収分・新たな支出分に対する損失補償は不可欠だろう。事業所で感染が生じた場合、必要とされる対応策を具体的に明示したり、地域の中でのバックアップ体制をつくることも必要だ。不安と緊張に日々苛まれ、厳しい職員体制のもとで利用者の生活を必死に守り支えている介護従事者を激励し、その奮闘を後押しする政府の思い切った支援を求めたい。来春(2021年)の介護報酬改定で報酬を引き下げることは絶対にあってはならないし、感染症の収束が見通せないもとでの低所得者の施設入所費用の引き上げ(補足給付の見直し-第8期介護保険の「改正」)は即刻中止すべきだろう。
 しかし課題はそれだけにとどまらない。すでに危機的状態に陥っていた介護保険制度の屋台骨がコロナ禍によって大きく揺らいでいる。コロナ禍は、コロナ〈前〉に政府が推進してきた新自由主義的社会保障構造改革が、国民の生命とくらしを守る基盤をいかに毀損させてきたかを改めて鮮明にし、地域の第一線で介護・福祉、医療、保育などのケア労働に従事している人々の存在とその重要性を再認識させた。コロナ〈後〉に要請されることは、もとの状態に戻ること、戻すことでは決してない。折しも「介護保険20年」を経過した節目の時期でもある。コロナ禍があぶり出している介護保険制度の問題を具体的事実に基づいて徹底的に掘り下げ、制度の全面的な検証と「必要充足原則」を貫く抜本的な改革(現金給付=「補償」から、現物給付=「保障」へ)、実効性のある処遇改善策を求める運動に接続させていく本格的な準備が必要とされる。私たちが求めるのは単なる〈回復〉ではない。〈転換〉である。*6(2020年5月10日記)

*6 介護保険制度改革の課題、新たな高齢者ケア保障制度について、前掲書参照。 

(はやし やすのり)1959年生まれ。全日本民主医療機関連合会事務局次長。岡﨑祐司編『老後不安社会からの転換――介護保険から高齢者ケア保障へ』で「『介護保険17年』の軌跡と現状」「新たな段階を迎えた介護保険制度改革」「介護保障につなぐ制度改革」を執筆。


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