ドラマ『恋せぬふたり』を見て、自分がいかに何も知らないかを知った話
こんばんは。ご無沙汰しておりました、お月見もちもちです。
先日、親友に面白いドラマを教えてもらいました。
タイトルは『恋せぬふたり』。岸井ゆきのさんと高橋一生さんとによるダブル主演のドラマで、「アロマンティック」「アセクシャル」をテーマにしています。
皆さんは「アロマンティック」「アセクシャル」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。
まだ世間には浸透していないのではないか、と思うのですが、それを敢えてテーマとして取り上げた作品です。
このドラマ、とても面白くて、考えさせられます。
あらすじ
―――恋愛しないと幸せじゃないの?
人を好きになったことが無い、なぜキスをするのか分からない、恋愛もセックスも分からずとまどってきた女性に訪れた、恋愛もセックスもしたくない男性との出会い。
恋人でも…夫婦でも…家族でもない? アロマンティック・アセクシュアルの2人が始めた同居生活は、両親、上司、元カレ、ご近所さんたちに波紋を広げていく…。
恋もセックスもしない2人の関係の行方は!?
(NHKのページより引用しました)
恋愛ってなんなのか分からなくなった
岸井ゆきのさん演じる兒玉咲子は恋愛や性愛が分かりません。周囲の人たちは恋愛や性愛を普通のものと捉えているので、咲子は自分がおかしいのではないか、と考えます。
しかし「アロマンティック」「アセクシャル」という言葉に出会って、自分がその当事者なのではないかと自覚します。
「アロマンティック」と「アセクシャル」は馴染みのない方も多いと思いますので、ここで説明します。
「アロマンティック」とは、恋愛的指向の一つで、他人に恋愛感情を抱かない人のこと。
「アセクシャル」とは、性的指向の一つで、他人に性的欲求を抱かない人のこと。
ちなみに恋愛的指向と性的指向は必ずしも一致しているわけではないので、「アロマンティック」と「アセクシャル」は絶対にセットというわけでもありません。もっと言うと、これは一時的な生理現象のことでもありません。
もしかしたら読者の皆さんの中にも「アロマンティック」「アセクシャル」に当てはまる方がいるかもしれませんが、大多数の人の反応が「想像できない」だと思います。
私自身は、身近にアロマ・アセクの当事者がいるのでこのドラマのテーマについて特段驚いたりせず、「珍しいな~」程度にしか思っていませんでした。
が、ドラマを見ているうちに「そもそも恋愛がなんなのか」が分からなくなってきました。
私はいわゆる「普通の」人です。「普通に」異性を好きになり、「普通に」異性と付き合うのですが、作中で暴力的なほどに書かれている「普通」には嫌気がさすし、どちらかといえば主人公の咲子に共感するのですが、咲子と私との間には大きな隔たりがあるように感じます。
人を好きになるとはなんでしょうか。手をつないだり、キスをしたり、そういうことなんでしょうか。
恋愛のゴールの一つに、家族になる、というものがあると思います。
ですが、恋愛をしなければ家族にはなれないのでしょうか。すべての人が、異性を好きになって、手を繋いで、キスをして、そういった経験を積まないと家族にはなれないのでしょうか。
作中で咲子は、「高橋さんと恋愛感情抜きで家族になろうとしている」と発言します。
そういう家族の形も増えてほしいな、と思います。
わからないことを受け入れたい
私の身近には、アロマンティック・アセクシャルの当事者がいます。しかもただの知り合いじゃなくて、親友です。
親友だから、どんなことでもあけすけに話せていると思うし、お互いのことはとてもよくわかっていると思います。
ですが、それでも私は彼女との間にときどき断絶を感じます。私には簡単にわかるとは言えない微妙なニュアンスの違いが二人の間にはあります。
ですが、わからないことがあるからそこで仲たがいをするわけではありません。わからないことを無理にわかろうとも思いません。無理にわかろうとすると、私の中の「普通」を押し付けてしまうことになるからです。
わからないものはわからないでもいい、即座に答えがでるものではないと思います。
そして、私にとって恋愛がわからなくなったように、私たちが「わかっている」と思っていることでも簡単にわからなくなることがあると思います。
そんなときに焦ってわかったふりをするよりは、わからないでもいいからわからないままに受け入れられるようになりたいと思います。
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