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木を切るということ

先日、朝日新聞のとある記事を目にした。
厚木中央公園の樹木伐採と、それを反対している団体の記事だ。
厚木市が、厚木中央公園に植えられている高木230本のうち60本の伐採を進めており、これに反対する市民グループが市に伐採中止の要望書を提出したというもの。
この伐採の目的は、間引くことで木の成長を増進させるというものだそうだ。また、落ち葉による苦情が多いのでそれの対処でもあるという。移植する木もあるが、あまりに大きい木は移植が難しいうえに費用もかかるので、伐採に踏み切ったとのこと。
反対するグループからは、伐採の規模が示されていなかったことや、ヒートアイランド現象対策への樹木の重要性、多くの自治体が伐採ではなく移植を行っていることなどから意見が上がったという。「伐採はあまりにも乱暴だ」という声もあるようだ。

確かに伐採という言葉は、一般市民には重く感じる言葉だ。造園業にかかわる前の私も、伐採と聞くと少々気後れするように感じた。
生えている木を切り倒す。自然保護が高らかに叫ばれている現在、尚更乱暴で勝手なように感じる人も多くないだろう。そして今回伐採が行われるのは厚木の大きな公園で、市民の憩いの場となっているところだ。樹木への愛着のある市民も多いだろう。

しばしば造園業は、剪定や伐採における反対の声を受けることがある。
強剪定をすれば「そんなに切るの?」、伐採をすれば「木がかわいそう」というコメントが飛んできたりする。これらは実際に広報で運用しているSNSでついたコメントだ。
確かに表面上の伐採の現場や強剪定された木を見ると、そう取られてしまうのも仕方のないことだ。生きている木を切るということには変わりはない。強剪定だって、切りすぎると木が枯れてしまうこともある。
しかし、木をのびのび育てるためにはこうした作業が必要になる。若い枝を育てるには古い枝を落とす必要があるし、木が密集していると光が上手く入らないから間引かなければならない。

だからこそ、造園業という植物や樹木を切ることのプロが必要になってくる。剪定の強さを誤って木を枯らさないように、安全に伐採を行うために。
木を美しくするだけでなく、のびのび育てるための作業を請け負うのも造園業の仕事のうちだ。

公園の樹木の伐採について、私は仕方ないのかな、という考えに落ち着いた。
確かに伐採しなくていいのならしない方がいい。
だが、木に光をいれることは重要だ。新たに植える木がある以上、間引くことは必要になってくる。
伐採は乱暴だというのはあくまで人間の感覚である。本当に財産である樹木を大切にしたいのなら、今ある木がのびのび育つ環境を整えることの方が重要なのかもしれない。
大きな木の移植は大変なものだ。大掛かりな工事になるし、それなりの時間を要する。移植後、定着せずに木が枯れるリスクもある。
伐採をしたその木を製材したうえで利用し、経済を回すという手もある。木材の活用は日本においての課題のひとつでもあるので、厚木市が伐採を考えるのには納得できる。

しかし、市民の反対意見が上がるのも頷ける。
酷暑化が進む現在、木陰のありがたみを感じているし、今まで大事にしていた木への愛着、公園から緑が減ることの危機感もある。SDGsや環境保護を謳っているのに、公園の緑を減らすのはダブルスタンダードだと考えることもできる。
何より、この伐採の詳細の情報が出ていないことで「伐採を隠しているのではないか」と不安を募らせる市民は少なくないだろう。

ただ、伐採という言葉に対してアレルギーを持ってほしくないと私は思う。木がのびのびと健やかに育つ環境を作る為の一環として、伐採という手もあるということを知ってもらえたらいいなと思う。

とことん議論を交わしたうえで、樹木がのびのびと育つ豊かな厚木中央公園になってほしいと、厚木を愛する一人の人間として願っている。


【参考】

朝日新聞デジタル「厚木中央公園で市が高木約60本の伐採計画 市民団体が反対の要望書」


厚木市「厚木中央公園リニューアル工事のお知らせ」


「厚木の街の樹木を守る会」による伐採反対の署名