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15歳の例文職人、廃業する。


「卒業生代表の答辞、やってみないか?」


中学三年生の冬、帰り際に、突然担任から声をかけられた。

寒い日だった。
指先は冷え切っているのに、職員室中は妙に蒸していて息苦い。受験を控えた時期だからか、問題集を抱えた生徒たちが出入りしていて、部屋中騒がしかった。



トウジ——?


耳慣れない言葉をキャッチし、脳内辞書を高速でめくる。

あぁ……
金八先生の最終回で、卒業式に壇上で読みあげてる、アレのことか……。

鍵っ子だった小学生時代、16時台の再放送枠で知ったドラマ金八先生シリーズ。小嶺麗奈が主役のやつを、何度か見たことがある。

家庭崩壊で苦しみ、優等生ながら密かにいじめをする小嶺麗奈。
「先生……助けて……」と金八にすがる小嶺麗奈。
原稿を見ずに、自らの言葉で三年間の想いを述べた、最終回の答辞。

泣いたよね〜。


え……
ちょちょちょちょっと待って。

私、アレやるの?


V字回復した非行少女でも生徒会長でもない、平々凡々の私が?



この三年間、思い当たる非行行為といえば、自転車通学時のノーヘルぐらいである。

あと、くるぶしソックス履いてたことぐらい。

くるぶしソックス、ブームになって、学校で禁止になったのだ。「くるぶしの保護ができないため」つって。

(禁止理由、そんなことある……?)



いずれにしても、学年を代表するほどの優等生でもないし、非行レベルもお子ちゃますぎて、とても適任だとは思えない。


尻込みする私を見て、担任が肩をポンと叩いた。

「とにかく書いてみなよ。原稿、結構長くなると思うけど、大丈夫。お前なら書けるよ。

そう言って、真新しい原稿用紙の束を渡す。向かいに座っていた隣のクラスの担任も、笑顔で頷いている。




お前なら書けるよ。


なんだか耳がくすぐったい言葉だった。


たしかに、書くことは苦手ではない。推薦入試の小論文も、一度も苦労はしなかった。
国語教師だった担任は、小論文添削を通して、私の長文耐性を見抜いたのだろう。


文章は自転車だ。漕ぎ出しさえすれば、車輪は勝手に回る。多少強引でも、書けそうな内容に転換させ、強引に着地させればいい。筆が走れば、どうにかゴールできる。

それが、当時書くことに対して抱いていた印象だった。好きだとか、得意だと思ったことは、一度もない。



答辞か……。

人前に出るのは嫌だけど、書いてみたい。


ボリュームは心配だが、書き出せばペンがなんとかしてくれるだろう。
そう、最初の一文さえ書き出せれば。


「……やってみます!」



こうして私は、卒業生代表として答辞を書く(読む)という、重々しい役割を引き受けた。




原稿用紙を抱え、蒸した職員室を足早に出る。

ひんやりした廊下は、開放的で心地よかった。冷えた空気を思いっきり吸い込み、一気に吐き出す。質の上がった酸素の供給に、指先の細胞たちまで喜んでいる。

くすぐったい耳の余韻を感じながら、私は家路へと急いだ。



15歳素人、例文と出会う

帰宅するとすぐに、担任からもらった真新しい原稿用紙をカバンから取り出し、神経をペンに集中させる。

さて、何を書こうか。
中学校は、大好きだったから、書きたいことは山ほどあるぞ。

しかし、卒業生を代表するからには、個人的な感情や体験だけではダメだ。
その場にいる誰もが「わかる!!泣ける!!」となる共通概念で紡ぐ必要があるだろう。


うーーーーーん……。


あれもこれも書きたくて、思考がまとまらない。とりあえず、最初の一文を書いて、調子を整えよう。



最初の一文。


最初の……一文……?








待てど暮らせど、最初の一文がどうにも出てこない。形式ばった文章は、比較的自由に書ける小論文とは勝手がちがう。



まずい……。


最初はあれだよな、季節の挨拶的なやつ。
寒さが厳しいナンチャラとか、だんだん暖かくなってきてドウタラとか。



……あの季節の挨拶、スルスル出てくる現役15歳おる?



焦った私は、起爆剤を投入すべく、文明の力・インターネットを召喚した。

2000年初頭、まだ一般家庭でのPC普及率は低い時代だったけれど、父が早くからPCに夢中になってくれたおかげで、家にはネット環境が整っていたのである。

検索画面を立ち上げ、「答辞 例文」と打ち込み、検索する。

暖かい陽の光が大地を照らし、桜の蕾も膨らみ始め、春の訪れを感じる今日——

あるやん、ドンピシャのやつ!いいよいいよ!

長く厳しかった冬も終わりを告げ、梅の香りが春を感じさせる季節となりました。

お、これもなかなか。
情景の変化を冒頭に入れることで、卒業式をよりドラマティックに引き立ててくれそう。採用っ!


検索すれば「THE答辞」といった風情の例文はいくらでも出てきた。最初の一文どころか、非の打ち所がない答辞完全版サンプルが、そこかしこに転がっている。



15歳の私は思った。


例文、いい感じすぎない……?


もはや答辞の正解、これなんじゃない……?



筆が走るまま、やや強引な展開で着地させるスタイルは、高校入試の小論文程度ならハッタリがきく。しかし正直、構成を要する長さの答辞では通用しないだろう。
構成なんて考えたことがない私にとって、例文は魅力的だった。


構成を知るにも、書き手の余計な個性を消すためにも、例文の活用は効果的なのではないか?中にはそれなりに気の利いた表現や、なるほどと思わせる展開もある。


よし……。

世界中のサンプルを集めて、最高の答辞を作ってやろうじゃないか……!



例文職人に!!!

俺はなるっ!!!!!!!



駆け出し職人の喜びと苦悩

セルフ宣言にて例文職人となった私は、WEBで答辞のサンプルを集めまくり、文章をパーツに分け、荒い構成を組んでいった。

当然ながら、パーツによって前提や温度感、主張、文章レベルなどが異なる。パーツの配置と「文体ならし」の作業には、職人の力量が問われた。


いいか、君はダイヤの原石パーツだ。
俺が極上の舞台を用意し、開花させてやるからな!

単体では輝くが、他との調整が難しい……そう、君が良すぎるあまりに!
わかってくれ、君が輝ける場所は他にあるはずだ、悲しいけれど、また必ずどこかで会おう……。


厳選した愛おしいパーツたちを組みかえ、原稿を推敲しながら、私はより高みを目指す作業に没頭していった。

===

例文を大集合させた答辞は、数日である程度形になった。

冒頭から終わりまでブツブツと高速音読をし、違和感を徹底的に潰していく。

一晩寝かせ、また音読。

主語と述語にねじれはないか。息継ぎが苦しくないか。感動の山はいくつ作るか。山と山の距離は適正か。

後読感はどうだろう。余韻はある——?

ただひたすらに、己が求める完成度と向き合い続ける姿は、まさに職人という名に恥じなかっただろう。私は着実に、例文職人としての経験値を積み続けていたのである。




何度も推敲した答辞は、なかなかの仕上がりだった。

手触りはなめらかで、気品もある。
穏やかに始まり、後半に向かっていくにつれて感情が昂り、キュッと締めてからのラストへの流れ——。


いいよ、いいよ!君たち最高よ!!!


これで卒業式に臨もうじゃないの!!


バラバラだった例文たちが見事に調和し、新たな命として生まれ変わった姿には、感動すら覚えた。




しかし……






お前なら書けるよ。



ふと、先生の言葉が、頭によぎる。

書けて、いるのだろうか。彼が期待してくれた文章が。
表現できているのだろうか。大好きな同級生たちの、そして自分の、かけがえのない三年間が。

情熱をかけて挑んだ大作であることは間違いないけれど、うしろめたさが心をざわつかせ、波紋のように広がっていく。


つぎはぎだらけの、けれど極めて完成度の高いこの答辞。




これは一体、誰の答辞なのだろう——?








最初に原稿を見せた際の担任の反応は、覚えていない。
何度か赤字が入り、清書をし、答辞は完成した。



うしろめたさは、消えなかった。
小さな棘のように胸に刺さったままだった。

なぜだろう、例文職人として恥ずかしくない仕事をした自負があるのに。あんなに愛おしいったはずのパーツも、夢中で完成させた原稿も、どこか他人のようだ。


卒業式当日。
完璧な仕事を施した他人のような原稿とともに、私は壇上に上がった。


緊張と溢れる想いが押し寄せ、例文答辞であるにもかかわらず、開始1分ほどで泣いてしまった。


(泣く場面は後半に用意していたので、ひどく焦った。)

卒業式のあと、小学校から一緒だった井川くん(仮名)のお母さんに、跡が残るほどギュッと強く腕を掴まれて、「ぐみちゃん!!本当によかったわ!!!」と何度も褒められた。

何度も、何度も。


褒められる度に、胸に刺さった棘から毒がまわる。



よかった?本当に?

誰が書いたかもわからない例文のつぎはぎをした答辞なのに——?




私は逃げたんだ、自分の文章から。みんなの思い出から。
頑張る方向を、見誤ったのだ。

初めて、自分の書いた答辞の存在が、恥ずかしくなった。
激しく後悔したけれど、もう遅かった。




お前なら書けるよ。


先生、ごめん。本当は私、書いてないんだよ。
例文をつないで、不足分を補っただけなんだよ。


お前なら書けるよ。


書けなかったよ。役不足だったよ。
せっかく先生が指名してくれたのに、私逃げちゃったよ。


お前なら書けるよ。


なにが「文章は自転車」だ、この大馬鹿者。
そんなチャラい書き方で、誰かの時間や感動を奪おうだなんて、傲慢にも程があるんだよ。




中学三年間の、最終日。
気鋭の新人は、人生で一度きりの仕事で過ちに気づき、静かに看板を下ろした。


例文職人、廃業である。



なぜ、書き続けるのか

あれから20年以上の時が経った。
書くことは、職人廃業後も、ずっと続けている。

振り返ってみると「他人の引用をメインに文章を完成させる」という答辞のスタイルも、正解の一つだったと思う。
多かれ少なかれ、形式的な文章には、型や例文を使うものだ。

いい文章を徹底的に真似するのは文章術の基本だし、そこから完成させるまでのステップの中で、十分自分らしさを投影できていただろう。


15歳の私に足りなかったことは「言葉にする覚悟」だ。

もちろんあらゆるものが足りていなかったけれど、一番は覚悟だったのだと思う。

書くという行為には、感情や出来事など、残したいことを記録できるというポジティブな面がある。

一方で、書いたこと以外は失われるという、残酷な特性も持ち合わせている。


大切なことほど、生半可な気持ちでは書けない。
「なにを書くか」は「なにを捨てるか」と同義
なのだ。



私には、中学三年間の思い出を「捨てる」覚悟がなかった。
いくら例文に推敲を重ねても、自分自身の深いところには辿り着けない。

粗くても、未熟でもいいから、15歳なりに自分たちの三年間と向き合い、言葉を紡いていくべきだったのだ。


自分の言葉で書いていたら、苦しかっただろう。
型もない。捨てるものも決めなくてはいけない。

しかし、そうして選び抜いた言葉や事象の一つひとつには、極上の価値がある。

いくら文章術を身につけても、あの頃書くべきだった答辞は、もう二度と書けない。


書くことは、徹底的に対象と向き合い理解するための最高のツールだ。

推敲を重ね、何度でも対象と対話する中で、ぼんやりしていた輪郭がくっきり浮かび上がり、解像度が高まっていく。

だから、書く。自分の言葉で。
時間をかけて、命を削って、書く。




お前なら書けるよ。

呪いのようだった担任の言葉が、今ではお守りになっている。

できるかどうかじゃない。
「書く」と向き合うことそのものに意味があるのだと、私は20年以上かけて理解していった。


深く向き合いたいことがある人生って愛おしいね、先生。

生きていけば、これからも変化していくだろうか、自分にとっての「書く意味」が。
理解を深めていきながら、その変化も楽しみ続けたい。






#なぜ私は書くのか

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