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鬼太郎になりたい3歳と、短髪にさせたい母の攻防戦、あるいは葛藤

5歳の次男は、鬼太郎の髪形に憧れている。

美容室(近所の1000円カット)デビューをしたのは、3歳の終わりごろだっただろうか。以来、約2年ほど通っているが、リクエストはブレない。デビューから変わらず毎回「鬼太郎にしてくださいっ(ニコッ)」である。



鬼太郎ヘア詳細。

東映アニメーションサイトより拝借


ハマったきっかけは忘れてしまったが、当時YouTubeで公開されていたゲゲゲの鬼太郎最新シリーズの第一話を、何度も繰り返し見ていた。

現代版の鬼太郎は、作画もずいぶんと今風で、なるほど確かに髪形もスタイリッシュである。憧れる幼児がいてもおかしくない。



鬼太郎ヘアへの憧れを知ったのは、約2年前。美容室デビュー当日だった。

夏の盛りで、次男の額にはあせもが発生していた。モシャっとした前髪でおおわれた額は汗で湿り、赤いプツプツは治る気配がない。薬で落ち着かせるにも、とにかくこの邪魔な前髪を切ることが必要だった。

素人母による自宅ヘアカットにも限界を感じ始めていたので、デビュー前日、私は必死で美容室のプレゼンをした。


「美容師さんはプロだから、すっごく上手なんだよ」
「かっこいいハサミで切ってくれるよ」
「絶対耳も切らないし、チクチクもしないよ」
「“こんな風にしたい”って希望をいったら、やってくれるよ」


最初は「怖いから行かない……」と嫌がっていた次男だが、髪を切ったら好きな入浴剤(中からキャラクターが出てくるびっくらたまごシリーズが、次男の定番やる気スイッチ)を買うことを約束し、なんとか連れ出すことに成功した。

そして記念すべきデビューの日、彼は事前の打ち合わせなしに「鬼太郎にしてくださいっ(ニコッ)」とリクエストしたのである。


髪形の希望があるということも、デビュー当日にしっかり自分の意思を伝えたことにも、大変驚いた。

でもさ……え? 鬼太郎なの?
もうちょっとあるでしょ……パウ・パトロールのケントとか、爽やかでいいんじゃない?

それか、のび太くんはどう? バリカンで結構短くいっちゃってる感じ。夏向きでいいのでは。


しかし、次男はかたくなに鬼太郎を所望した。

彼は、家でも保育園でもよく鬼太郎の絵を描いている。

何らかの巨匠画家みを感じさせる構図。
目玉おやじ(右)もいるね。
「ばんざーいしてる鬼太郎だよ」とのこと。


お絵描きの記録を残したファイルには、色を塗っていない鬼太郎や、顔だけの鬼太郎など、ありとあらゆる鬼太郎がおさめられている。

それほどに愛し、描いているのに、次男は気づいていない。
カット後に鬼太郎ということは、カット前の長さが鬼太郎と同等もしくはそれ以上でなければならないということを。



次男before
次男after(理想)



足りない……。

圧倒的に長さが足りないんだよぉォ……。


大前提、今回の美容室訪問はモシャ前髪の徹底除去が目的である。鬼太郎だなんてもってのほか。いっそのこと丸刈りでもと思っていたほどだ。


目をキラキラさせながら鬼太郎カットを所望する3歳に、美容師さんは困っていた。
お母さん、どうしましょう……? そんな目線をこちらに送ってくる。

私だって困っていた。まさか彼がそんな希望を抱いているとは、夢にも思わなかったのだ。昨日まで、そんなこと一言も口にしなかったじゃん……。


申し訳ないが、短髪一択である。ここは大人の権力を駆使して、どうにか短髪に着地させたい。

しかし、強行突破をしたら、彼のメンタルはどうなるだろう?

鬼太郎を期待する中、目どころかおでこまでピカーンと出てしまうほどの短髪にしたら、トラウマになってしまうのではないか。もう二度と美容室に行かないと言い出したら困る……。
「好きな髪形にしてもらえる」というのは嘘だったのだと、母に騙されたのだと、人を信じられない人生を歩むことにならないだろうか……。




……問われている。母としての力量が。


子を腹に宿してからの数年間、いや、己の人生で積み上げてきた思考力、対応力が今、問われているのだ。


私は逃げ出したかった。現実を丸投げしてソファーに寝そべり、腹をポリポリかきながらピノのチョコミント味を食べたかった(夏のイチオシ)。

次男の理想を打ち砕く責務から逃れたい。
誰か、彼にどう伝えればいいか教えてくれよ。よりマイルドに、より本人が理解できる形で、鬼太郎にはなれないという、つらい現実の突きつけ方を……!



いや、やはり私がやらなければ。
母である私がやらずして、誰がやるのだ。


私は覚悟を決めて、美容師さんにコソッと耳打ちした。



「いってしまってください、思いっきり。短髪で。」



許せ、次男よ。

母は今、君にバレないようこっそり美容師さんに耳打ちして、すべての罪を彼になすりつけようとしている。

仕上がりを見て、怒ったり泣き出したりしたら、美容師さんのせいにする。これが、私の人生経験すべてをかけて出した答えだった。

「美容室って、相性があるからね〜、次男くんの希望がうまく伝わらなかったのかもしれないね、今度は別のところに行ってみよっか」とかなんとかうまいこと言って、その場を乗り切ろう。


あぁ、私は三十数年かけて、なんたるせこさを身につけたのだ。ダッセェな……。

しかしこれも、次男の心を守るためである。

とにもかくにも、意思決定者である私と、髪形の運命を担う美容師さん両者における大人同士の裏取引は、この上なくスムーズに成立した。

私が待合席に戻ると、美容師さんはためらうことなく次男の髪の毛をカットしていく。シャキシャキと、もんのすごい速さで、毛が落ちていく。

鬼太郎になることを夢見ていた毛たちが、ことの重大さに気づいて、断末魔の叫びをあげている。

許せ、許せ、許してくれ……。


後ろ姿しか見えない次男は、微動だにしない。

彼は今、この現実をどう受け止めているだろうか。
3歳の心に現在進行形でつけているだろう傷のことを思うと、鏡越しですら表情をうかがう気にはなれなかった。

思わず息を止める私に「酸素ぉ……」と細胞たちが渇望しているが、ゆったりした息づかいの方法が思い出せない。
ハラリ、ハラリと落ちていく毛を見つめながら、私はひたすら浅い呼吸を繰り返した。


===

「お母さん、終わりました。」

共犯者が呼びかける声に、顔を上げる。ついにこの時がきてしまった。私は絶望的な気持ちで、再び次男に歩み寄った。


次男は、短髪になっていた。

それはもう、明らかに短髪だった。短髪以外なんとも言いようのない短髪っぷりだった。神々しいほどに、短髪。ただひたすらに、短髪。一点の隙もない完璧な短髪。圧倒的短髪——。




しばらく陽の光を受けていなかったおでこは解放感にあふれ、隠れ気味だった耳もあらわになっている。次男の襟足あたりの肌って、こんな色してたんだ……。



「い、いい感じじゃん!!」


心からそう思う! という演技のオーディションで、二次予選くらいは通過できそうな自然さをもって、私は彼に声をかけた。

実際、新しい髪形は、彼にとてもよく似合っている。

次男の表情も、思いの外晴れやかだった。
自分の意外な一面を引き出してもらった喜びなのか、初めての美容室をやり切った自信なのか、恥ずかしそうにニコニコしている。


よ、よかった……。

彼の心は、守られたのだ。



罪をなすりつけようとしていたことも忘れ、私は担当美容師さんに何度もお礼を言った。鬼太郎にロックオンだった息子の心を、短髪というズラしをやり遂げた上で、守ってくれたのだ。プロってすごいよ!


帰り道も、次男はずっとご機嫌だった。
素直な性格の次男は、全身で感情を表現する。約束のびっくらたまごも入手して、ぴょんぴょん飛び跳ねるように歩いている姿が微笑ましい。

信号待ちをしていると、犬の散歩中であるご婦人と隣り合わせになった。気さくなご婦人で、犬に触りたいという次男を快く受け入れてくれる。

次男は犬を軽く愛でたあと、ご婦人に「あのね、次男ね、さっき髪切ったんだ」と照れくさそうに報告していた。



見ず知らずの方に報告してしまうほどに、気に入ってたんだその髪形!!


小さな体からあふれてしまう喜びを受けたそのご婦人も、次男に向かって「すてきね」と笑いかけてくれた。心なしか、犬もにこやかな表情だ。



あぁ!!!
世界って、なんて素晴らしいんだろう!


次男を照らす太陽も、毛先を揺らす風までも、彼の新しい門出と髪形を祝福しているようだ。

私はお金がゆるす限り、感謝の意として世界中にびっくらたまごを寄付したい気持ちだった。

次男をこんなにハッピーな気分にしてくれた美容師さんにも、貴婦人にも、ワンちゃんにも、もちろん次男にも、心から感謝を伝え、抱きしめたい。彼と、彼の喜びを分かち合いたい。

ありがとう。
ありがとう。

こうして次男の美容室デビューは、大成功に終わったのだった。

===


先日、5歳になって迎えた夏の初めに、次男はまた髪を切った。彼はもう、鬼太郎の絵は描いていない。鬼太郎のアニメも一年ほど見ていない。

それでもやはり、彼のリクエストは「鬼太郎にしてくださいっ(ニコッ)」だった。

もう心を痛めるでもなく、小声でささやくでもなく、私は堂々と追いリクエストで短髪にお願いし直す。


彼は、いつまで鬼太郎ヘアをリクエストし続けるのだろうか。ハマったアニメも数あれど、髪形をマネするほどには入れ込んでいないらしい。

母が付き添わなくなり、大人の陰謀から逃れられる年になったら、彼は念願の鬼太郎ヘアを実現させるかもしれない。

大人になるころには、鬼太郎ヘアのことなんてすっかり忘れて、もっと奇抜な髪形を楽しんでいるかもしれない。

たまにはもっと冒険すれば? と言われるくらい短髪を死守していたら、幼い日の話をしてやろう。昔は鬼太郎になりたいだなんて言っていたのにね……と。


まだまだ先の話だろうと、余裕をもって想像しているけれど、意外とすぐそんな時期がきてしまうようにも思う。


美容室の帰り道、次男はいつものように、手にびっくらたまごを握りしめている。

このワクワクする入浴剤が、彼にとって極上のご褒美であるのは、いったいあとどのくらいの期間なのだろう。


相変わらずぴょんぴょん歩く次男の手を、思わず強く握りしめる。

夕日が次男の頬を赤く照らす。
長くなった影は、いつまでも楽しげに揺れていた。








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