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等価交換

【等価交換】
何かを得るためには、同等の代償が必要。現実でも、(報われるとは限らないが)努力(=代償)を重ねるし、理不尽に人を巻き込み、罪を犯した者は相応の罰(=代償)を受け、等価交換が成立する。

どの程度の量/種類の代償を払えば良いのかは分からない。量/種類を間違えると、無駄に代償を払うことになる。やり方を間違えれば、努力(=代償)が報われない場合も多い。

得る対象が重大すぎる場合、それと等価の代償が存在しないため、等価交換は出来ない。自分は「過去」と「繋がり」を得る/否定する/替えることが可能な代償を知らない。

忌わしい過去を否定したくても、過去は現在に影響し続ける。「流される」「その場しのぎ」「妥協」といった理由で選択を誤っても、その「やり直し」が出来ないまま物事が進む。経験値が不足する分野では、圧倒的に不利になる。

 自分を虐げる者も多い(〜中2)
→自分を見てくれる人が少ない,自己責任で放任される(高1)
→人と繋がるために無理し続けても、多くのモノ(精神面,世間体,学力etc.)が知らず知らずのうちに犠牲になる(高2,3)。
→それでも、周囲から自分との繋がりを断切される(高校卒業後,SNS etc.)。
繋がりを否定された経験。
理不尽な加害を受けた経験。

惨めな過去を否定し、人と繋がり、周囲の承認,賞賛を得るべく努力しても、結局、「承認・賞賛に値する結果が残せなければ,自分の居場所も存在価値も失う」という強迫概念と、超えられない他者への劣等感に飲まれる。

孤立に起因する憎悪に突き動かされる自分も、それを危惧する自分も、人と関わりたいと思う自分もいる。人格形成に過去が影響し続ける。

ただ、過去は否定出来ないが、そこに良い経験を追加することや、新たなコミュニティに加わることは出来る。抗い続けるうちに、加害者を見返す事になるかもしれないし、幸せを掴めるかもしれない。

「過去の否定」「繋がりの否定」「理不尽な加害」といった禁忌を犯せば、相応の代償を払う。貴方も、私も。

以上、ハガレン読んで、自身の厨二心に訴えかけて、現実の等価交換について考えた結果。長文失礼。

自分のメモより引用

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