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山の民たちは、云います。


造成が始まると、透明だった湧水が濁る。


問題は、私たちの目に見える
表面だけの話、では無いのです。

若い頃、大阪は、河内長野の木こりの
元を訪れたことがありました。 

おっちゃんは言いました。

切るために植えられた人工林で
あっても、町の子供たちから
見れば自然の一部やし、風景なんや。

だから俺は、絶対にハゲ山にはしない。

おっちゃんは皆伐と呼ばれる
いっぺんに木を全て切ってしまう
林業手法は選ばず、

より手間のかかる間伐と言う方法を
実践しています。列状間伐と言われる
それは、残す木と、切り出して町に
届ける木の列を分けながら、持続可能な
山として、循環させていく方法です。

また、

美しいヒノキ林で有名な三重は、
尾鷲の速水林業の速水さんの元を
訪れた際にも、森への想いを聴きました。

人工林であっても、できるだけ
生態系を豊かにしたいんだ。

ちゃんと山肌に光が差し込み
広葉樹が育ち、動植物が共存する 
明るくて美しい人工林がそこに
ありました。

そう、林業の発祥地である奈良は吉野を
はじめとする木こりたちは、山守と呼ばれ
山を敬い、畏敬の念を持っています。

小さな小さな災害に、日々手当てを
しながら、材木となる山の恵みを
育ててくれているのです。

植えて、育てて、切る。

この循環の中で山の性格を知り
危うさを取り除くことを
代々受け継いでくれているのです。

それらを端折って、
合理的な理科だけで、
山を相手にしてしまっては
山の神様と向き合うことには
ならないのではないでしょうか。

500年余の間、山と向き合ってきた
吉野林業の知恵に触れることは
大切な事柄だと思うのです。

今日も、山の恵みに感謝して。

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