見出し画像

蟻とガウディのアパート 第四話(序章)

「乗り換え」3/4,4/4

 遠くの山で閃光を放つと、提灯のような黄色い灯りがふたつ現れた。 それは少しずつ、こちらに近づいてくる。 どうやら列車のヘッドライトのようだ。

 列車はふわっと浮き上がるとライトを下向きに構え、なだらかな放物線を描いて下降していった。 
すぐに見慣れた暗闇が戻った。 
 ずいぶん下の方で、シューッと音がする。 私はそっと、プラットフォームの外側を覗き込んだ。 
底知れない深さまで闇が垂れ下がっている。 私たちは、山の峰に立っていたのだ。

 谷底で豆電球が光ったと思ったら、イルカのようにジャンプした列車が、プラットフォームを越えて空に駈け上がった。 
列車は徐々に体勢を水平に整えると、もうマッチ箱のような大きさに見える駅舎にすべり込んでいった。 
誰かがまた、そこに降り立つ足音が聴こえたような気がした。

 やっと空のベンチを見つけると、私は荷物を置いて腰を下ろし、両手で顔を覆った。
プラットフォームは、いつまで経っても夜だった。 
明けない夜はあるのだ。 母もここに降り立ったのだろうか。

 私はあきらめて目を閉じ、車掌の瞳の奥にあった闇に身を置いた。
(ここ、前にも来たことある。)

 それは、その夜で授乳を終えると決め、息子の小さな額を撫でながら寝かしつけていたときのことだった。 
突然、(私、死ぬんだわ)という確信のようなものが頭の中にやって来た。
離乳食の作り方を放送していたテレビ画面が、突如津波速報に切り替わったような唐突さだった。 
間髪おかずに私は脳幹の奥に吸い込まれた。
――――――――――――
呼び出されたところは、太古の闇。
宇宙の闇だった。
私は息を飲んだ。
無限の孤独の中に、生殖の役目を終えた自分の抜け殻が宙吊りにされているのを見た。

 それから15年が経ち、いよいよ女性性を終えた私の抜け殻はハンガーから外され、下車した私に代わってあの列車の座席に座り、果てのない闇の中を旅している。 
その顔は微笑んでいるのか、無念に歪んでいるのか、うかがい知ることはできない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?