見出し画像

「慶」

私の名前を付けるときに祖父はかなり苦労したと。父からも祖父本人からも事あるごとに聞いていた。事あるとは七五三の祝いの席であったり誕生日であったり。時には運動会の日の夕食の話題もなぜかこの話題がシメのラーメンかお茶漬けのように出てきます。私としてはご馳走様もうもうお腹いっぱいです。

でも、まんざら嘘でもないようで私の名前がなかなか決まらないので出生届が提出できなくて父がイライラしたそうです。母は出産後の弱った体で父をなだめるのにうんざりしたらしいです。眉間にしわを寄せて横たわる母がしっくりしすぎて笑っちゃいます。

祖父が亡くなってから私の名前の苦労話は父に受け継がれました。この苦労話で祖父が決して言わなかったことがあると父が突然に切り出しました。何でも、祖父は最終的に2つの名前を持って霊能師さんのところに行ったそうです。

初耳。私の名前になんとも胡散臭いものがついてきました。真剣に話す父に掛けることばを私も真剣に捜していました。でも、でもね。きっと誰よりも祖父が真剣だったのだと思う。どうにも煮詰まった頭と心を抱えて霊能師さんのところに向かった後ろ姿が見えた気がする。余所行きのエビ茶色の背広の上下にステッキを振りながら。真夏のあの日、私の産声を宿命尽きるまで守りたい一心を懐に。

ギリギリで決まった名前。命名の半紙を神棚に掲げた夜。祖父は柏手を派手に2つ。そして独特の奏上で神様に報告してくれたそうです。翌朝には「疲れた。名づけはこれきり」と言って。硯と筆の入った桐の文箱を納戸の奥に片付けてしまったそうです。

「じゃあ、私の名前ってどこかの知らない霊能師さんがつけてくれたものなの?」と父に尋ねると。それは違うときっぱりとした顔で教えてくれました。
「おじいちゃんはね、霊能師さんのことばであることを思い出して。ヨッコの名前はおじいちゃんそのものがつけたんだよ」と話してくれた。

詳細はまた胡散臭い話になるのだけど。いつかまた違う機会に書いてみたいなと思います。

人が死ぬと。火葬して遺骨にして埋葬するのが日本では通常でしょうか。そして墓誌には戒名が記されます。なぜ本名ではいけないのかなと子供のころ考えていましたが。名前を地上に残さないことで生きた人の一部となって名前のエネルギーは消滅しないのかもしれない。

名前は誕生前に自分で決めて生まれてくる説もありますよね。もし、そうだとしたら。祖父は私の決めた名前を。あんなにも必死で見つけてきてくれたんだね。

慶子とかいてよしこ。この名前で間違いなかったよ。と、いつか祖父に伝えることができたらいいのに。

そんな私にとって有難いばかりの祖父が言ったことで鮮明に覚えていることがあるの。確か小学二年生の頃。冬、祖父母の部屋の炬燵でおやつをしていた時に。「ヨッコは将来、広島か岡山の人と結婚したらいいよ。あの辺りはね穏やかな気候だから人も優しいよ」と言われた。

それから15年後23歳になった私は東京のど真ん中で。生粋の広島っ子のやっちゃんと出逢い結婚することになったのです。きっとね。私が決めた名前を祖父が捜し当てて、祖父が決めたお相手を私が探し当てたのだと思っているの。彼が広島出身と教えてくれた瞬間。私は祖父のことばを思い出した。それはすっかり忘れていた片隅に追いやられたことばだったけど。

チベット仏教では山に埋められたお経が必要とされたときに出てくるという考え方があります。人生にも似たようなことがあるものです。大切なことを勇気をもってことばにしておくこともありですね。ことばにしたときには理解に至らなくても。時を得て誰かの願いを叶える1つのきっかけを作るかもしれないですね。

預言者でもあるのかな。

ことばを預かりし者。わたしたちのことばのなかには未来に向けたことばも混じっているから。それは種のようなことばなのかもしれない。毎日、たくさんのことばの種が蒔かれているから未来があるのよね。

ちなみに、やっちゃんは広島の山間部に生まれ育ちました。冬には雪が溶けることなく春を待ちます。温暖な場所ではありませんでしたが優しい人です。気候と優しさは別物だと書き添えて終わりにしたいと思います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?