エピローグ
果てることのない小麦畑に降り立った火星人は、茫然として苦しい考えや儚い喜びや、それからたくさんの不安の映像を、心の片隅にぽっかり空いた穴に放りこんだ。
さらさらと麦穂の立てるさざ波に囲まれたことを、そして彼らと知り合えたことを、誇りに思った。ずっと、どうしても火星人には理解できなかったことがあった。あれほどお互いが憎しみ合い突き崩し合った彼らが、どうして自らの命を犠牲にしてまで火星を命溢れる星に再生させようとしたのか、という疑問だった。
やっと火星人は納得できた。その答えは火星人の人生観には生じえなかった種類のもので、彼らは愛するがゆえに憎しみ、憎しむがゆえにまた生まれ直そうとする、表裏一体の思考を生きる原動力に変えていたのだ。この小麦の大地のように、彼らの古い惑星での死は、また別の惑星でこうして愛を取り戻しつつある。どうしようもなく愚かなのだろうけれど、土に落ちた一粒の種子とそっくりだった。
火星人はうっかり穴に放りこんでしまった大切な日記を拾い上げ、二億年の沈黙に深く感謝をした。しばらくして小麦畑の小麦しか見えない場所で透き通っていった。火星人の胴から頭にかけて小麦がゆっくりと現れ、乾いた風がざっと吹いてすっかり姿が見えなくなった。風がつむじになって溶け合い、雲間から覗く太陽に向かって砂埃を巻き上げていった。
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