はじめに
彼らがここに降り立ってからというもの、僕たちはたくさんの人たちが過ぎ去っていくのを見た。悲喜こもごもの思いを抱えたまま、東西南北へ散らばっていく旅団を見た。どの顔も希望に溢れて輝いたものばかりだった。この星が別の星からの入植地であるからには、彼らは選ばれた者たちばかりで、子々孫々にわたり受け継がれてゆくべき種子であると自負していた。
僕たちは複雑な気分だった。
深く大地がえぐられて井戸となった。倉庫には新たな経験が蓄えられていった。僕たちは彼らの成長をそっと観察した。老いてゆく植物が果実を結んで栄養を蓄えて、静かに知識と魂が結晶化していく様子を見守った。
彼らの舌はとても貪欲で、すぐに新しい穴を掘って果実を蓄えるための大きな倉庫を増やした。あっという間に、火星は蜜だらけの星へと姿を変えた。
ほんの数年前まで赤錆で殺伐とした星だったことが忘れられてしまうくらい、状況の変化は著しかった。電子信号や音声で数え切れないほどの記号がやり取りされ、土地には記録しきれないほどの新しい名前が勝手に刻まれた。
不思議だったのは、彼らの発する言葉には希望より哀しみが、愛情より憎しみが強く表れている傾向の顕著なことだった。希望はやがて成長する生き物のように、絶望やそれに類するものへと老いていくものであるかのようにみえた。
僕たちは彼らの自覚のない哀しい進化を見て、生きることの試練と忍耐を学んだ。彼らは母星を捨ててきたように滅びの進化を着実に続けながら、なぜ滅ぼうとしているのかには目をつむりながら、直近の世代間に引き継ぐべきものにしか関心がなかった。
矛盾しているとしか思えないのだが、彼らにとって未来は何億年も世代を経ていくと本気で信じているらしかった。数百億年後の宇宙の死さえ乗り越えようと唱えてしまう、限りなく楽観的な人たちだった。すでに限りなく滅んでしまって、新しい知見を見せつけられた僕たちは、臆することなく彼らに感謝を捧げることになった。彼らの気楽さは、僕たちの虚無を埋め尽くしていった。
もちろん彼らの存在が永遠であることは、ないだろうと想像はつく。ましてや火星が青さを保ち続けられないだろうことも。僕たちも含めて、この生というものは、幸運で特別なものではないことを、彼らはまだ知らない。知ろうとしないだけなのだが。彼らにとってこの世は儚い夢でしかない。
だから、僕たちは彼らの行き着くべきところ、その幸せをいつまでも願いたい。彼らが世代間で残し続けるという記録の手法を、僕たちもこうして未来に向けて書いてゆく。未来が永遠であることを信じる彼らに倣って、僕たちも書き記してみようと欲する。
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