火星で失くした或る世界の影を求めて
一年前、マルグリット・ユルスナールの或る分厚い本を失くしてしまった。どこで落としたのかも見当がつかなくて、交番で書かされた紛失届には空欄ばかりが目立った。もう二度と入手できない古書だった。デジタル化も一切されていないし、火星からでは古書の取り寄せルートがなかった。
火星ってほんとうに文化的なモノに飢えていて、引っ越し後の空っぽの書棚のようだった。
いつも彼から、つまんないことで電話をするなと注意されているのに、わたしは相変わらずこの不満を、彼に聞いて欲しかった。冒頭で「ねえ」と言うと「おう」と期待混じりの声が返る。「あのさ聞いてよ」と用件を話そうとすると、「そんなこと」とカテゴライズされて、不機嫌そうに電話は切られた。
案の定だった。「そうだよね」とわたしのなかの彼が言う。「彼なんてそんなもの。」
*
あの本を探すのに相当苦労した。地球からの出発前は健康チェックが厳しくて、本当はウロウロしちゃいけないんだけれど。郊外の古書店にあるのをやっと見つけて、飛んでいった。
皆が暇だというロケット生活で読み始めた。でも、ぜんぜん活字が頭に入らない。イメージの違和感しか感じられなくて、どうして読みたいと思ったのか自分でも不思議だった。きっかけは口コミだったよ。
でも、眠らせてから火星で読み始めると、嘘みたいに浸透してくるのを感じた。ユルスナールは足元の覚束ないロケット内で読んじゃいけないのかも。
到着してから、わたしはずっと手元にユルスナールの本を置いていた。それなのに。
*
失ったものはもう戻らないことくらい、十分知っている。だから、わたしは失くして三日で、ユルスナールを諦めた。
自慢じゃないけれど、わたしは諦めるのが早い。
ユルスナールの代わりに、わたしはユルスナールのようなものを作り出すことにした。わたしがユルスナールそのものになりきるのではなく、ユルスナールがわたしのように火星に来た時に感じるであろうことを、ふつふつと文章にしてみることにした。
数日もすると、地球上でのユルスナールはもうわたしに必要ないことに気づいた。書き溜めていくうちに、もう疑似ユルスナールではなくなっていることも、はっきり判別できるようになった。紛失してしまった一冊の世界は、いま、まったく別の影を落とし出していた。
ある程度の思い切りと、幾重もの推敲が毎晩の楽しみになった。
そのうち彼との連絡を忘れてしまった。恋なんてとても儚い。
*
やがて、わたしは警察から一本の連絡を受けることになった。一年前に失くしたユルスナールの本が、遺失物として発見されたという。はきはきとした口調の電話の主から、「お預かりしていますので、期日までに受け取りに来てください」と言われた。
もうわたしにはユルスナールは必要なかった。でも、いつか言葉を紡ぐことが出来なくなった時のために、本を受け取りに行くことにした。
それでいいのだ。
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