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火星のハイウェイ(前)

僕たちは「火星のハイウェイ」というセンチメンタルな歌を聴いてから、余裕をもって発着場まで歩き、くたびれたヘリバスに乗り込んだ。小型の乗り合い式のヘリで、この町と隣町を結ぶ定期便が一日三往復していた。乗り込むと機体の床がぺこぺこと凹む音がした。パイロットはいつもの破れた軍帽をかぶる、愛想のない初老の男だ。

そもそも火星ではまだハイウェイの着工すら始まっていない。長距離を移動するためには、皆、飛行体で移動するしかなかった。月給の安い大半の市民は、地球から廃品でまわってきたヘリを使っていた。博物館に展示されていてもおかしくない年代物のヘリがごまんと送り込まれていた。こんな状態だから町に発着場が一か所しかなかった。

それでも僕たちはいつか火星がかつての景気を取り戻して、交通整備にも予算が回る日が来ることを信じ続けた。何年も何年も待ち続けている。いまだに町と町は遠く隔たったまま他人のようで、点と点はいつまでも空高くヘリで弧を描いてしか結ばれなかった。むしろ町同士がさらに隔たったように思える十年が過ぎていた。最初の十年間の入植は、もはやモノクロームな武勇伝と化していた。

僕たちは本当にここに来るべきだったのだろうか?

それは愚問だし、するべきではないことは、よくわかっている。こんなことを自問する「へま」を避けなければ、この星では生きてはいけない。火星での存在意義を問う挙句、塞ぎ込んで首を吊って周囲を困らせる話が、いつしか連日のように新聞を賑わした。植民者の連続自殺は、やがて報道と国家を巻き込んで大論争になった。情報が悪の連鎖を引き起こし、この閉鎖社会を麻痺させてしまうのではないか、そう心理学者たちが世界に対し警告を発した。報道規制をしかれたのは、そのためだ。新聞はすっかり無口になり、僕たちは生き残った。

「おれたちに未来があるかって?ここに住めばすぐに思い出すさ。ああ、昔はどこにだって行けたのに」というさっきの歌詞が頭をかすめる。
火星には農地が無限にできる。だから僕たちは喜んだ。農地開発は火星の緑化にも食料供給にも役立つというスローガンは、殺到する志願者という抜群の効果をもたらした。僕たちも疑うことなく使命感を持って申し出た。もちろん命がけだった。たとえ人類の技術革新が進んだとはいえ、宇宙進出は万全ではなかった。これまでだって何十基の宇宙船が行方不明になり、また爆発してきた。

歌は続く。「おれたちは片道切符を破り捨ててしまえばよかった、だけど恋はいつもそうだ」

(後半へつづく)

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