見出し画像

給水塔の少女

「・・・ひとりの少女が給水塔のてっぺんに座っている。どういうことだ」

突然、無線で緊急連絡が入った。眠くてしようがなかったカレンは、その報告を本気にしなかった。

「ねえサム、今どこを飛んでいるのか、分かっているの?」

レーダー上の機影が緑色に点滅しているのは、砂漠のど真ん中の開拓用施設に併設された、緊急時用の給水塔だった。機体は施設の上を何度も旋回している様子だった。

「あれは人形じゃない。確かに人で、確かに女の子なんだ。画像を送信できたらいいのに、装置がない」

いつもは感情をあらわさない操縦士サムが、今日に限って妙に声がうわずっている。サムは正気だろうか?とカレンは疑念を抱いた。

その給水塔まで辿り着くには、近くの町からでもプロペラ機で三時間はかかる。道路だって走っていない。機密に関する施設でもあるので、その近隣に立ち入るには当局の許可証が必要だった。

そのような施設内にどうして女の子が一人でいるんだろう?とカレンは首を傾げた。だから、まずサムを疑った。

極度の虚言はドラッグによるものが多く、近年の火星でも問題になりつつある。特に、経済的余裕のある富裕層の汚染が広まっている。だが、サムは薬に手を出すほど金銭的ゆとりはなく、それ以前に違法薬物に手を出す不摂生な男ではない。そのことは、彼に恋をしているカレンが、誰よりもよく知っている。サムは要領が悪くて失敗ばかりするが、決して道に外れることをしたがらない。

カレンは恋人を疑ったことを悔いた。

無線の声はますます混乱していた。誰も居ない砂漠の真ん中に平然といること自体が異常事態だし、そんな高所に座っていることも危険だった。無線の状態が悪くて雑音で聞き散りにくいことも、やりとりする心理状態を乱していた。それにサムはパニックに陥りやすいのを、カレンは思い出した。

「サム、落ち着いて。深呼吸をして、私のこれから言うことに答えるだけでいいの。その子は何歳くらい?」

「だいたい十歳くらいじゃないかと思う」

「何色の服を着ているの?」

「青色だ。夜空に浮かぶ地球そっくりな色をしている」

懐かしい色ね、とカレンはそこだけ言葉にせずに心で呟いた。昔とても好きだった色。

「それはワンピースなの?」

「そうだ、ワンピースだ。それと薄手の白いカーディガンを羽織っていて、それが風に揺れている」

「その子、もしかして麦藁の帽子をかぶっていない?帽子には緑色のリボンがついていて・・・」

「その通りだ」

カレンは凍りついた。その服装は、火星に到着したてのカレンの服装とまったく同じだった。当時、まだ十歳だった彼女は、父と母とそして兄という、ファミリー形式で移住する第一号だった。

火星到着後、カレンはまだ開発途上だった空港のすぐそばの給水塔によじ登り、ヘリバスが来るまでの時間、ただ砂漠を眺めていた。ほんとうにまだ何もない時代で、目の前に広がる赤錆色の荒れ地が地平線まで続いていた。ずっとそこに座っていたかった。空港職員に見つかって怒られるまで、彼女は呆然と眺めていた。

十歳年上の兄は火星へ向かう機内で、自ら亡くなっていた。火星の赤い光が丸く形を取り始めた頃、急に錯乱して首を吊って死んだ。無重力状態でどうやって首を吊ることができたのか、詳しくは聞かされていない。

兄は火星に対して非常に前向きだった。火星行きのプランを知らされた時の、野心に目を輝かせる彼は、どの投資家よりも未来を信じているように思えた。

兄が怯えたものが何だったのか、何も分かっていない。ただ、埋めることのできない不在感が家族に残された。規則に従い、兄の遺体は宇宙空間に粉々になって葬られた。喪に服したまま火星到着を迎えることになった事情を配慮して、ファミリー第一号の移住である事実は公式に伏せられた。

兄はこの赤い星の何に絶望したのだろう?

ふと無線機の前のカレンは、砂漠を眺めている少女の目になったような気がした。ずっと砂丘ばかりが続く火星の砂漠。暑いようで冷たい砂漠。そして地平に浮かぶ青い星。

兄が死んだのはすべて私がいけなかったのだ。彼はいつも孤独で、仲間と開拓について意気揚々だったのは、うわべだけだったのかもしれない。ごめんね、もっと話せればよかった。もう一度、生きている兄に会って、手を握ってあげたい。

カレンはその開拓用施設の横に使えそうな滑走路があることを確認し、無線でサムに着陸を許可した。給水塔の上の彼女を保護して欲しかった。

これが最後のチャンスかもしれない。

彼女が逃げてしまわなければいいのだけれど。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?