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訪問者

真昼に扉を叩く音が響いた。みんな作業に出掛けて留守だったので、乾いた木の音だけが辺りに吸い込まれていった。どれだけ待っても反応はなかった。諦めた訪問者は、踵を返してその家を後にした。

インターホンは決して押さなかった。あとに記録を残さない理由からそうしていた。最近のインターホンは、訪問者の写真を記録するようにできている。撮影された顔写真はセキュリティ会社に自動的に送信されてしまう。気軽にインターホンを使えなくなった、と仲間はみんな嘆いていた。

訪問者が訪れたのは、今日で11軒目だった。この近隣は農耕地が家同士を分け隔てているので、家をはしごするだけでも相当骨が折れた。それにどの家でもいいというわけではなかった。五人家族でなければならず、それ以上でもそれ以下でもいけなかった。そのため、事前調査からスキップ対象にした家は、今日だけでも何十件にも及んだ。

訪問者は汗だくの額をハンカチで拭いながら、11軒目の家から逃げるように離れていった。一度訪れた場所に長居することは、相手がたとえ不在だったとしても、警戒してしすぎることはなかった。

「なんてこった」と訪問者は愚痴をこぼした。「俺たちが隠れなくちゃならないなんて、どうも立場が逆転している」。

12軒目の家は数キロ先の農場だった。彼らは離れて住みたがる。できるだけお互いの干渉を避けているらしい。こうした習性について、訪問者たちは理解に苦しんだ。

真夏の太陽がちょうど天頂に達した頃で、暑気は最高潮に達しようとしていた。訪問者は飛んでいるヒバリの数をかぞえた。大きな変化は見られなかった。

沿道にさわさわと新緑の小麦が風に揺れる道は、車一台やっと通れるほどの広さしかなかった。ほかに道らしきものは近辺になかった。どれだけ歩いても、車一台通りかからなかった。今日一日、この一帯でひとりも見かけることはなかった。

ようやく目指す12軒目の家が見えてくると、夏の日差しで朦朧としていた意識の目が覚めた。予定では今日最後に訪問する家だった。

これまでと同じく、それはありきたりの造りの二階建てだった。ここもまた煙突から煙が上がる様子もなく、動くものは風に揺れるものだけだった。いい予感は一切しなかった。他の家と一つ違っていたのは、インターホンが取りつけられていないことだった。臆することなく訪問者は扉を叩いた。

「はい」と中から声がした。予想外の反応に、訪問者の期待は高まった。

「こんにちは」と訪問者はさりげない声で扉越しに話しかけた。だが、それは扉の向こう側からの、冷たい一言で遮られた。

「俺たちはもうロックされている。別の家をあたりな」

状況を把握した訪問者は、もう彼らと同じ礼儀的な言葉「失礼しました」なんて使う必要はない。無言でその場を後にした。

12軒目の家族にはすでに、仲間の魂が住んでいた。もうそこに入り込む余地はない。だが、私たちの魂が入り込むには、どうしても五人の同居人が必要だった。私たちはそういう乗り移り方になっている。

今どき五人で同居する家族は珍しい存在だ。やれやれ、宿を借りるのも楽なことではない。

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