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局地的な火星ネズミの勝手な決断

わたしと彼は、ネズミの夢を見た。動物なのに英語を喋り、耳を自在に動かした。そんな動物をわたしたちはこれまで見たこともなかったし、聞いたこともなかった。

きっと実験動物なんだとわたしたちは察した。倫理委員会がまだ機能していない火星では、あらゆる試みが許されていることをわたしたち市民は知っている。でも、みんな知らない振りをして、当たり前のことのように受け入れて生活しているだけだ。

彼はわたしにミッキーマウスの話をしてくれた。知っているような知らないような、とても気になるキャラクターの登場人物だけど、ミッキーはあくまで擬人化された存在で、動物本来の姿からかなり隔たっているんだ、と彼は説明した。目の前のネズミはどこから見てもただのネズミで、もしこのネズミが居眠りしていたら、わたしたちは大騒ぎするだろう。そして、急いで網で捕まえて、処分してしまうだろう。容赦なんて絶対しない。

だから、火星の違法な研究者たちの試みは、その時点で失敗する程度のものだった。ある意味、わたしたちは世界を救ったといえるだろう。でも、わたしたちが直面したのは、喋るネズミに出会ってしまったという非常事態だった。

*

わたしは英語が少しも理解できなかったので、彼にネズミの言葉を同時通訳してもらった。

「ようこそ火星へ。君たちはまだ火星に馴染んで百年にも満たないけれど、僕たちは数億年を生き永らえてきた。だから、もう火星人といって言い過ぎではないだろう。そうそう、まだ君たちが君たちらしくない社会を生きていた頃から、僕たちは君たちをずっと見てきたんだ。あの頃は僕たちと似ていたんだけどね。

「どうして僕がネズミの姿をしているのか、気になっているだろう?僕の姿は地球に住むネズミにそっくりだけど、火星で異なる進化を進んだまったく異なる種なんだ。魚類のサメと哺乳類のシャチがそっくりなのと、よく似た進化をたどっている。だから、僕らはチュウチュウとは鳴かないし、チーズも苦手だし、猫は大好物だ。」

英語っぽい抑揚だけはなんとなくわかるので、通訳する彼がでたらめを言っているとは考えにくかった。身振り素振りも、通訳とうまく一致していた。つまり、わたしたちは遺伝子操作された実験動物だという推測から、未知との遭遇という局面に立たされることになった。もし、このネズミが火星人だとしたら、わたしたちは人類代表という重責すら発生してしまう。

*

でもって、猫が大好物だって?わたしたちはハッと気がついて、部屋を見回した。可愛がっていたミケたんがどこにもいない。

「まさかミケたんを食べたの?」とわたしは火星人を名乗るネズミに、食ってかかる勢いで問いかけた。

「まあまあ、落ち着きなさい。これから食べようと目はつけていたけれど、君たちの手前だからやめとくことにしたよ。ほら、そのミケたんとやらは、向こうの塀の上を歩いている。」確かにミケたんの姿が窓から見えた。

やがて、火星人を名乗るネズミが、耳をくるくるさせながら言った。「そこで君たちに相談なんだが、君たちの星で滅んだといわれている恐竜たちを、今日、君たちに返却しても構わないかな?」

「え?」

「もう数千万年も共生してきたから言うんだけれど、恐竜たちは僕らの手に負えない存在なんだ。進化しすぎて。君たちにうまく紛れ込ませてしまいたいと思っているんだ。もう相談している場合でもないんだ、せっかく火星に来てもらって悪いんだけれど。」

「え?」

火星人を名乗るネズミは急にしおらしくなって、耳を前に垂らして、わたしたちにウインクした。

*

わたしたちが同時に目を覚ましたとき、しばらく夢の記憶が消えていた。それはよくあることだった。そして記憶が蘇ると、わたしたちは笑って冗談めかして夢を話し合った。同じ夢を見るなんてことはこれまでなかったので、すごく新鮮だねと驚いていた。

でも、わたしは彼の表情が、これまで知っていたのと少しだけ違うことに気づいた。人間っぽい。でも人間じゃない。

高速度に回り出した思考の中で、わたしは火星人だと名乗るネズミが得意そうに話していた、サメとシャチのたとえを思い出していた。

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