ピクニック
風が吹いていた。雨雲が確実に近づいていて、目を閉じると、ここが地球でないことが信じられなくなる。
環境の変化に慣れることがこれほど難しいことだとは、出発前に想定していなかった。そもそも慣れることなんて、生物界では必要とされないことだ。耐えられない種は絶えて、異なる種が派生して生き残る。
レイはリュックの中のハンバーガーのことを思い出した。岩陰に小さな簡易テントを広げて、その中で風を避けつつ頬張った。そうしないと苦い砂が食事に紛れ込んでしまう。簡易テントといっても透明性のある素材だったので、落ち着いて景色を観察する余裕は持つことができた。
冷えきったハンバーガーほど憐れなものはない。夢を忘れさせるに十分だ。ポットの熱いコーヒーで誤魔化した。
空を低く流れる雲、ぱらぱらとテントを打つ雨粒、むらの激しい空から覗く群青の空。レイはこの火星調査を「ピクニック」と名づけた。
何も成果を得られないかもしれない行動でさえ、「ピクニック」という響きは華やかな色彩を添えた。
おかわりのコーヒーを楽しんでいると、仲間の無線がレイを呼んだ。
「すごい雨降りだ。あっという間に浅瀬の湖ができた。レイ、そちらはどうだ?」
「にわか雨程度だが、風が強いので警戒している。そちらの湖は大丈夫なのか」
「小型のポリエチレン製ボートを膨らませたので、問題はない。ただ、体感温度が低くてたまらない」
「そろそろ撤退したほうがよさそうだな」
「それを切り出したものかどうか、迷っていたんだ。これで撤退の決心がついた。あとで落ち合おう」
「それまでピクニックを楽しもう!」
「そうだな。こんなことならクラブハウスサンドでも準備しとくんだった」
意気揚々と無線は切れた。途端にざあっと雨が通り過ぎて、また静かになった。透明シート越しに真昼の群青の空が、より暗く澄んで見えて、また低い雲が覆い被さった。
おかわりのコーヒーは冷めてしまったけれど、退路に対する希望的観測が現実の希望に変容したのを、レイははっきりと感じることができた。テントのチャックを開けると、彼の心にも同じ空気が沁み込んできた。
いいピクニックになりそうだ。
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