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.71 今週の煩悩:wn15
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さーて、走るべ
4月も第2週。
ランニングはもちろん、勉強も走る、断捨離も走る。ラン!ラン!ラン!
あ、時計、帽子と膝サポーターは忘れずに。
時計とか帽子とかって、なんのメタファーなんだろうな。
時間と身だしなみと健康管理の事かもしれない。
スワローズが勝った
オスナさんにいい場面で打順が回ってくるときの神宮の雰囲気がすごい。
わたしも画面の前で「わっしょいわっしょい」言ってる。口ずさみながら試合を見ているうちに、自然と覚えてしまった。
今年はいろんな選手の応援歌を覚えたいなあ。
試合中
話はサッカーに。
応援しているクラブの試合中、友だちとLINEをするのをお互い控えている。なんとなく、そのほうが勝つ気がするので控えているが、たまに禁断症状が出そうになる。
「なんであんな髪色なんだ」みたいなバカバカしいことを言い合いたい念に駆られると、ふと気づくことがある。
サッカーの話って、なかなか踏み込めない。踏み込みづらいというか、核心に触れることはあまり言ってはいけない空気を感じる。
そういう空気を無視して余計なことを言ったり、やったりする人はさておき(本当にさて置いている)、見た目の話とか、インタビューの話とか、グッズの話をしてからでないと、試合の話をしてはいけない気がする。気のせい?
試合の話ができる人
「ああだった」「いや、こうかもしれない」「次はどうなるかね」みたいな話が、なんで隣の席の人と気軽にできないのだろう。
本当はチャントやブーイングは、そういう壁を超えて繋がる役割があるのかもしれない。
それは「みんなで声をあげれば怖くない」とは話がちがう。
それでも「みんながいるから、少しくらい汚い言葉で選手を罵ってもバレない」的な雰囲気は生じることがある。一人でも「束になってかかれば、何をしてもいい」と思うと、あの密集地帯ではすぐさま伝播する。
日本語・英語・サッカー語みたいなノリで、隣の人と気軽に試合の話ができるようになったら、スタジアムへ行く意味も価値も爆上がりするのになあと考える。
林陵平さんの本
林陵平さんの本が売れまくっているらしい。わたしも既に読んだ。
みんなサッカーのことを少しでも知りたいのよ。でも、身近に教えてくれるひとがいないし、もちろん学校なんかで教えてくれないし、SNSにサッカーの情報が溢れていても誰の話だったら素直に信じていいのか分からなかったりする。
本当は知りたい競技の本質や競技の嗜み方の核が後回しにされている気がする。
試合を見せてくれ
スタジアムに行くのは、DAZNで試合を見るのは、
ユニホーム着て、スタグル買って、写真撮って、SNSにあげるためではない。呟くためではない。
そういう副次的な行為に重きが置かれすぎているせいで、試合を見て感情を爆発させる意味がものすごく軽んじられている。これも気のせい?
誰に?という問いを投げるなんて、無粋なことはしない。
でも、試合を見る側が試合を見たときの感動を可視化できると思いたい人がいて、感動(敢えてこうする)を可視化したつもりになって儲けている人がいる。そういう人には、この問いを投げてみたい。
自分が応援しているクラブの選手が踊っている短い動画を見て(試合に勝った後とかではない)、「こいつも大変だな」とは思うけど、短い動画を見たところで「もっと応援しよう」と強く誓うとか、動画を見られて良かったって嬉しい気持ちなんかにはどうしてもなれない。
だから、短い動画でマスコットにお茶を濁されるくらいなら、昔クラブにいた選手が出ているヨーロッパの試合を見る。迷わずそうしている。
でも、そういうことをしていると、クラブを裏切っている気持ちになる。わたしはクラブが流してくれる情報と相性の悪い、すごく駄目な客なんだなと日々落ち込んでいる。
「見る」から「みる」へ
サッカーを「見る」と、なんとなく漢字変換しているが、見る、観る、視る。そのどれもを包含できる「みかた」ができたら、少しは楽なんだなと気づく。
「つまらなくて笑えない」野次に思わず声をあげて笑ったりしないために、短い動画に騙されたりしないために。あくまで魂を揺さぶるためにスタジアムへ行き、ゴールに歓喜するためにスタジアムに行くのである。
サッカーを「みる」のは、その大前提から離れないことだと思う。
最近、つぶやくことを極端にしなくなっていて、正直つぶやくことがない。つぶやいているというよりは、情報やお金の流れでつぶやかされているのだなと思ったら腑に落ちるよね。
たまに「勝った!」とかつぶやいたりしてみるかと思うのに、なんでできないんだろう。
...勝ってないからだ!!
負ける試合をきちんと両目を開いてみられるようになるのが、遅まきながらの今シーズンの目標である。でも、負けるのは本当に嫌なんだよ。
まとめ
今週こそ、勝つぞ。
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