ケツ割れの一本道
僕の幼いころの話だ。
僕の住んでいたところは、時々酔っぱらったおじさんが包丁を持って暴れる様な場所だった。
そこで物心がつき、気付いたらガキ大将の子分になっていた。
そこで一人前と認められるには、いくつかの段階を踏まなければいけない。
補助輪なしで自転車に乗る。
かくれんぼでみそっこ(見つかっても見つかっていないことにしてもらうことを言う)じゃなくなる。
野球で上から球を投げてもらう。
そして、自転車で隣町の端っこにある公園まで連れて行ってもらうこと。
だいたい小学三年生になるとその「儀式」を受ける。
ある日の午後。いつも通り酔っ払いのおじさんがいないことを確認した公園でガキ大将を中心に且座になる。
「おい、○○公園まで行くか?」
「え!イイの?」
「泣いても置いて帰るからな」
ワクワクした気持ちで住んでいるスラムから国道に出る。
国道に出たら、あとは一本道だ。
時々隣のクラスのやつと野球をする公園を過ぎ、校区内ギリギリの道に来た。
これ以上先は大人とじゃないと行ってはいけない。バレたらこっぴどく叱られる。そんな弱気を見せたら笑われるし「帰ろう」と言ったところで置いて行かれるだけだ。
不安を隠すためと、3つ上のガキ大将の自転車のスピードに付いていくために歯を食いしばる。
当時は大きく感じていたスーパーを抜けると、あとは見知らぬ土地だ。
先を行く自転車を見失わないように、必死にペダルを漕ぐ。
着いた。
「よくがんばったな」
何てことは言ってくれるはずもなく、ガキ大将は自分の分だけファンタグレープを買う。
僕ともう一人は水道の水をガブガブ飲んで帰り路に備える。
たぶん何をしたということも無いと思う。
「帰るぞ」の号令で少しの自信を手にした僕は、さっきより数ミリ伸びた身長で自転車に乗る。
当然帰り道も知らない。
しかも、多分だけど、来た道の違う道を走っている。
線路沿いの一本道。
ガキ大将はドンドン先を行く。
どれだけの時間、自転車に乗っていたか分からないけれど、お尻が痛くなってきた。
漕ぐたびにケツが割れそうだ。
「ちょっと待って」と言いたいが、遠く離れた先頭には届かないし、届いたところで止まってくれるはずもない。
むかしむかしのことなので、信号も少なく、永遠とも思えるケツ割れの一本道を半べそかきながら走る。
一本道は余計に気をせかす踏切で途切れた。
スラムに着くとガキ大将のさらに上級が「どこ行ってたのよ」と待ち構えていた。
「こいつら○○公園に連れて行った。なまら必死こいたツラで、はんべそかいてんだ」
「なんもだって!もう一人で行けるって!」
「ハハ。けがしてねぇか?これでお前らもいっちょこまえだ」
「夜中にケツ割れる夢見て泣くなよ(笑)」
その20年後、僕はケツ割れの一本道より遥か遠くまで旅に出た。
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