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父親

いささか唐突だが、僕は父親が嫌いだ。苦手というレベルではなく嫌いだ。
自分も父親になり、そろそろ子育ても終えようとしていても、その気持ちに変化はなかった。

僕は今年47歳になる。生まれは昭和。北海道の片田舎に産まれた。
その父親も終戦直後に産まれ、その頃の男性らしく荒くれた性格をしている。
しかし、問題はそこではない。
僕たち世代の父親像とは多かれ少なかれそうで、逆に親に殴られたことのない人の方が珍しい時代だった。

ではどこが嫌いなのか。
前言を撤回するようだが、暴力的なところもイヤだった。
毎晩の様に深夜遅くに帰宅し、寝ている母親を叩き起こし、殴る。
幼い僕は怖くて布団に潜っていた。
おかげで未だに布団を頭からかぶれないし、狭いところが苦手だ。
しかし昭和のオヤジあるあるといえばそれまでだ。

僕が嫌いなのは「自分勝手なところ」「成長しないところ」だ

そんな父親だから自分勝手なのはある程度許容できる。
父親はよくこんなことを言う
「仕事を一生懸命やれ」「人に尽くせ」と
社会人になったころ「たまにはいいこと言う」と感じたが、僕が力を手にした途端にそれまでの荒くれはどこへやら、ペコペコとすり寄ってきたのだ。
一生懸命に仕事するのも、人に尽くすのもすべて「俺のために」だったのだ。

成長しない。
これは年を取ってしまうとある程度仕方がないかなと思うのだが、それにしてもだ。
こんな父親だから、当然僕は幼いころから「こんな父親にはなりたくない」と思っていた。
そして自分に子供ができ、僕も僕が記憶する父親の年齢になった。
息子は今年二十歳だ。
その中で息子が成長するのと同時に僕も変わった。良くも悪くも変わった。
では父親はどうかと言えば、相変わらず大声を出している。
母親への暴力は無くなったが、気に入らないことがあるとすぐに大声を出す。
なにも変わらない。

しかし
実は父親は障がい者だ。
小児麻痺で右足が不自由だ。
障がい者という立場は奇しくも僕と同じだ。
昭和の時代だ、偏見や差別は多かっただろう。
僕も29歳、結婚一年目、子供が2歳になる前に統合失調症になり悔しい想いをした。
だから許せるわけではないが、気持ちは分かる。
悔しかったはずだ。
納得はいかないが、健常者と同等の働きを求められる中で苦しみ、ストレスから母親や僕への暴力になったのだろう。
納得はいかないが。

はたから見ると僕の家族は仲がいいらしい。
成人になる息子との会話もある。
妻とは毎日一緒にコーヒーを飲みながら話をする。
これは父親にされた事の真逆を実行したからだ。
納得はいかないが、父親のお陰かもしれない。

僕は父親が嫌いだ。
苦手というレベルではなく、嫌いだ。
でも、僕も父親の役目を終え、僕の父親の人生も残り少なくなり(まだバリバリに元気だ)ふと考える。
「どうでもいいかな」と
いくら親子とはいえ、家庭を持ってしまえば別人格になる。
「そっちはそっちでやってくれ」って感じだ。
息子だって表面上は僕の事を好いてくれてはいるが、全てを許せている訳ではないはずだ。どこか嫌な部分もあると思う。
仕方ない。それが親子だ。
仲が良すぎると親離れも子離れも出来ない。
そうして子は巣立って行く。
そうして世代は変わっていく。
そういうものだ。

仕方ない。

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