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お金と愛、どっちがヒツヨウ?

お金と愛、どっちがヒツヨウ?

久しぶりにおとうさんの自己啓発です。

今回は表題にある「お金と愛、どっちが必要?」について考えます。


極貧の結婚生活

僕は結婚して2年目、子どもが1歳の時にうつ病になり、それから定職についていません。
主な収入は月に10数万円の障害年金です。
それに体の弱い妻が体調と相談しながら務めるパートの収入です。
貧しさを極めました。

アパートは築三十年の市営住宅。エレベーターのない階段を五階まで登ります。
晩ごはんは鮭だけです。
薄く切ったというよりスライスみたいな二切れの切り身を3人で分けます。

絵にかいたような貧乏生活でしたが、笑顔に満ちた(僕が錯乱することもありましたが)幸せな生活でした。

お金が無いなりに家族で向き合い、悩み、話し合い1歩ずつ前に進んで来ました。
誇れる家族です。

苦しむ妻を前に

じゃあお金がなくてもいいんだね!

答えはNOです。

こんなことがありました。
妻が歯の痛みで眠れません。
虫歯の菌がでリンパ腺に移って腫れています。

でも

「歯医者に行っておいで」と言えないのです。

なぜかって?
お金がないからです。

苦しむ妻を前にお金がないせいで何もしてあげられないのです。

そんな時に
「愛の力で」と
ほっぺにチュってしても意味がないのです。
「好きだよ」「愛してるよ」と言っても痛みは引かないのです。

必要なのはお金です。
歯医者に行くお金です。
バファリンを買う千数百円です。

おとうさんの思うのは

じゃあお金があればいいんだね?

それも違う気がします。

おとうさんが思うのは
両方必要。ってことです。

歯医者代だけあればいいのでしょうか?
一人一切れの鮭が食べられればいいのでしょうか?

歯医者代と一緒に「痛いね。だいじょうぶ?」
晩ごはんを食べながら「今日なにしてた?あのね聞いて」

そんな言葉や気持ちが添えられればいいなということです。

誰かが言いました
「力無き正義は無力」

端的にいうと「優しさを具体的に表現するにはお金が必要」

またこうも言っています
「正義無き力もまた無力」

お陰様でいまは食卓に十分な料理が並びます。
どこか痛いと言えば病院にも行けます。

手渡すのはお金ではありません。
想いです。
慈しみです。

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