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ネットは広大だわ(2024.08.20)

おそらく母に内緒で買った富士通の無骨なパソコンを、父がわざわざ別に暮らす祖父母の家で開封したことを覚えている。僕はまだ小学校にあがる前だったけれど、白くて薄いポリエチレンの膜に包まれたそれは、なんだか触れてはいけないような物に思えてわくわくした。

それを使って父がやることといえば、一太郎と花子というソフトを使って年賀状をつくることだった。今で言うと一太郎はWord、花子はPower Pointだ。そんな作業ははっきり言って退屈で、初めに感じた怪しい魅力は一旦薄れることになる。


「ピポパポ、ピー、ガガー、シャー」という不気味な音を初めて聞いたのがいつだったのか、はっきりと思いだすことはできない。やんわりと丸みを帯びた画面の中央、青とグレーのウィンドウが、何故だか父の薄暗い寝室の一部として思い浮かぶ。
厚手の遮光カーテンを閉め切るほどの時間帯ではない。薄っすらとした夕闇がまだ大きな窓の向こうにあって、ダークブラウンの机は輪郭が曖昧になるほど黒くなり、画面の下だけが青白く光っていた。

一日のうち、ほんの僅かな夕闇の時間が僕にはずいぶん長く感じられた。幼少期の記憶なんて頼りにならないものだけれど、そのときの気持ちを、今になってからの方がより鮮明でリアルなものとして表象できる気がする。不気味な音、夕闇、怪しく光る画面、そしてダイヤルアップ接続に手間取る父の苛つきが心の中で一体になる。

それが僕がインターネットに初めて触れたときの記憶だ。

パソコンという謎の機械がやってきたとき、ネットに初めて繋がったとき、僕の高揚感は父の気持ちと裏腹なものとして生まれた。隠したくて、怪しくて、うしろめたさと紐づけられたもの、それがインターネットだった。

小学生の時には友達同士でブラクラを送り合い、中学生になってからは友達とアクセスした2ch個人情報を特定されそうになったりした。エッチなサイトのバナーがデスクトップから消えなくなって、必死で解決策を練ったその時に「◯日前に戻す」機能を扱えるようになった。
あの頃、子どもの僕にとってインターネットは怪しくて混沌としていて、その中でなんでも出来るような気がして、とにかく魅力的だった。

そんな黎明期を経て、今の僕はどうかと考える。今のインターネットの中には、正直言って1秒たりとも居たくない。SNSで無数に流れる誰かの言葉と自分の言葉の区別がつかなくなる人達を眺め、自分もその中のひとりにすぎないのだと打ちのめされる。


「バトー、忘れないで。あなたがネットにアクセスするとき、私は必ずあなたのそばにいる」
「行くわ」


『イノセンス』で少佐が最後に語る言葉だ。今日はこの言葉を思い出さざるを得ない。ネットと同化したにも関わらず、完全に個を失ってはいない少佐の、バトーに向けた優しく力強い言葉だ。

怪しくってわくわくするインターネットは消え失せ、みんながネットの誰かになりたがっている今こそ、その中で自分の言葉を尽くすこと、それを試みることの大切さが身に沁みる。何より少佐が見ていてくれるなら、と勇気をもらえる。

インターネットにまつわる幼少期の記憶を振り返ってみたけれど、記憶と気持ちを混同して偽造してしまった部分が必ずある。偽造を簡単に許してしまう、デジタル記憶媒体ではない僕らの脳の仕組みこそがゴーストの在り処なのかもしれない。いつか人類の脳みそがネットに繋がるまでは、少佐のような超ウィザード級のハッカーではない小市民の僕らでも、ネットの中で正気を保てるんじゃないか。そう在りたいと思う。


田中敦子さん、攻殻機動隊シリーズをはじめとして、数々の素晴らしい作品に命を吹き込んでくださりありがとうございました。今は悲しくてどうしようもないですが、今思い浮かぶ言葉を尽くして感謝を述べたいです。あなたの声で遺してくれた言葉を生身の脳に刻み、何度も何度もリフレインして生きていこうと思います。ありがとうございました。心より御冥福をお祈りいたします。

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