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「創ったものを他人に見せないと一生上達しないよ」恥ずかしい日記をわざわざ公開する理由

頂戴できるお仕事があるという状態は非常にありがたいことです。特に、”エイヤッ!”とライターとして独立してしまった私は、現在ご愛顧いただいている皆様と出会うまでにカツカツの時代がありますから、なおさら、感謝の味を濃厚に感じるわけでして。

しかしながら、頂戴したお仕事だけをやっておるとですなあ・・・・・・媒体やテーマを取っ払った、ワタクシ個人としてやりたいことがわからなくなるんですわな。これはなかなかに焦る。

というわけで、やり始めたのがnoteだったわけですが、当方、木っ端ながらにライターを名乗っておりますので、見栄というかPR上の必要に迫られてというか・・・・・・まあ、エネルギーを使って書きたくなるんです(逆立ちしたって書ける程度のもんしか書けないんですが)。生身一人のワタクシとして、ちゃんとオモロい文章を書くってなかなか大変で、結局、仕事にかかる以上の時間がかかるんですよ。しかもお金がもらえるわけじゃあないんで。だから、ぜんぜん継続できなくって。

けれどもけれども、貧乏なれども困窮なし暇なしの生活は、だんだん茹でガエルになってる感で、焦る焦る焦る・・・・・・

なので、またグダグダと書き連ねているわけです。これが何回目になるかわからない「日記はじめてみました」的なエントリーなんですけども、ちょっと今回はアプローチの原点回帰を図ってみたく。

頼まれもしないのに、無駄に長い文章をだらだら書いていたあのときに戻ろう——具体的にいえばmixiで書いていたころのように、思いつくままに日記感覚で書こう、という心境に至り。

お仕事として文章を書いておると、はたまた他人の文章を読んでおると、「結局何がいいたいねん?しのごのいわず、いちにで喋れや!」と始終悪態をついてるのが私の内心の常でして・・・・・・「メッセージ」と「構成」を練り上げるステップが、それはもうご飯を食べる前には手を洗うぐらいに、文章を書くうえで必要なアルゴリズムなんです。

だから、こんなふうに何を言いたいのかようわからん日記をさらしているさなか、職業人としてのワタクシが悶えています・・・・・・

もう一つ、「メッセージ」と「構成」を練り上げないで、思いつくままに書くと”怖いこと”が起きるのが不安で、不安で。

私、基本的にひねくれ者なんですよ。ブラックユーモアが大好きですし、楽しげなものを見ると破滅の兆候を読み取ってしまうし、人気者はだいたい嘘つきだって思っているタイプなんですが、社会生活を営むうえで明るく楽しく元気の良いワタクシをキャッチーにプロデュースしていて。

思いつくままで書くと、ちょっと病んでるような限界ポエムみたいな風味が出てくるんですよ。暗くて、破滅主義で、エゴイスチックで、悲しい宿命を背負った的なセルフイメージに対する陶酔感・・・・・・みたいな。あれが許されるのはハタチやそこらぐらいまでだと思うんですよねえ。

・・・・・・と、まあ、創作の趣味として、自己表現の文章を、日記感覚で書き連ねてゆくというのはなかなかためらいがあるわけです。それでも、読んで面白い文章を、ゼロベースから捻り出したいという思いはやまず。

書き溜めて面白ければ出すっていうんじゃダメなんかい、と思ったりもしますけれども、結局”それじゃない”と。これは私の弱さなんですが、他人に見せないと頭が切り替わらないんですよねえ。なんだろう・・・・・・書いたものが、良いか悪いか、面白いかつまらないか、ハートの部分にピンッとこない。

仕事で書くときは、私の持っている案件の特性から言って、ロジカルに自己評価するんで出来るんですけどねえ。「分かるか・分からないか」「読む意味はどこにあるのか」「どの程度価値があるのか」とか。こういうことを考えて書いてます。ハートはクールなままで、”囁き”に耳を傾ける程度で働かせるのが、仕事で文章を書くうえでのコツかなあと思ったり。

・・・と、話が逸れたんですが、結局、自己表現の文章は恥ずかしい思いに身悶えしながらも、公開していかないとズッとそのまんまみたいな気がします。ほら、あれですよ。中島敦の「山月記」にもあったでしょう。

我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との所為である。己の珠に非ざることを惧れるが故に、敢えて刻苦して磨こうともせず、又、己の珠なるべきを半ば信ずるが故に、碌々として瓦に伍することも出来なかった。己は次第に世と離れ、人と遠ざかり、憤悶と慙恚とによって益々己の内なる臆病な自尊心を飼いふとらせる結果になった。

中島敦「山月記」

これですよ。創作において切磋琢磨するには現代なら、noteのようなネットの海に投下することですかね。知り合いの誰それさんのツイートを見るたびに「もしかして私のnote、読んだ?しかもディスってる?」みたいな妄想が、自らを珠ににすると思うんですね。読み手の気持ちに想像を巡らせてくださいっていう意味です。それが次の方針を掴む手がかりになる。

というわけで、文章に限らず何かを創る人は「見せるは一時の恥、見せぬは一生の恥」というお気持ちがいいんじゃないでしょーか(なんか露出魔の言い訳みたいだな・・・・・・)。


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