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理性は感情論が嫌いか?サンドウィッチマンのラジオショーを聴いて。

今日も通勤中、ラジオを聴いた。今回は「サンドウィッチマンのラジオショー」。相変わらず伊達さんも富澤さんも面白い。特に富澤さんが伊達さんに対して腐したボケを入れた時。伊達さんの間髪入れない「何だよ。」とか「何なんだよお前。」がどうにも堪らない。絶対笑ってしまう。前振りからの緩急と、その後の空白の間が極まっているといつも感じる。笑いの黄金律だ。

そして今回のゲストはDJ KOOさんだった。私は全然TRF世代じゃないので、この人のことは賑やかで綺羅びやかなおじさん、程度の印象しかない。まぁでもラジオを聞いた限り、この印象で間違いないと思うが。

流石にKOOさんも大ベテランなので話は面白い!更に時々「○○○ do dance!!」というやたらバイブスの高いボケを突っ込んでくる。これはズルい。面白すぎる。

そんなゲストKOOさんは大学在学中、ラガーマンだったらしい。サンドウィッチマンの二人も昔ラガーマンだったので共通項。そこで話が盛り上がった。昔はラグビーは紳士のスポーツと捉えられていたため、ガッツポーズや声援なども無かったとか、プレーは荒くて当たり前だったとか。全て興味深くて面白い話だったが、ある話題にとても共感した。

それは、KOOさんもサンドイッチマンの二人も語った「あの時に比べれば全然マシ」から反骨心が付いた、という話題である。昔の体育会系なんてバリバリの縦社会。先輩からの理不尽、パワハラなど日常茶飯事だったそう。

例えば「駅前の自販機にあるあのジュースが飲みたい」と先輩に言われれば、本当にわざわざ駅前まで行ってそのジュースを買ってこないといけないのだ。その辺に売ってる同じジュースではだめだったらしい。ただの嫌がらせじゃないか。

他にも「まろやかなアイスが食べたい」と言われれば、まろやかそうなアイスを買ってこなければいけないのだ。もし先輩が想定したまろやかさでは無かった場合シメられる。まろやかはその人次第だろ、オーダーが抽象的過ぎる。

そしてキツイ練習。そんな理不尽の中で心と体を鍛えた3人は異口同音に「あそこで根性が鍛えられた」と口にする。そして今の日常生活の中で辛いことがあっても「あの時に比べればマシ」と言ってもうひと踏ん張り出来るそうだ。

パワハラやモラハラは駄目だ。でもこの話にはとても共感するし、私も思い当たる節がある。私も学生時代にパチンコ屋でバイトしていたが、まぁ兎に角きつかった。一日中ほぼ走り回っているし、朝9時から深夜1時くらいまで働く日もあった。ミスったらリーダーに詰められるし、態度の悪い客は多い。しかしここで私もかなり打たれ強くなったと思う。刀が何度も打たれて硬くなる様に、私も何度も怒られて頑丈になった。そして辛い時があってもパチンコ屋時代を思い出し「あの頃に比べれば」とよぎり、もうひと踏ん張り出来る。

昨今パワハラやモラハラ問題などで、私達の生活環境はより「理性的」に近づいている。論理的、感情的な部分はどんどん排除され、理にかなっている事が重要視されている。この状況は歓迎すべきとは思うが、少し不安もある。

結局の所人生は理不尽の連続だと思う。人生に不意打ちや夜襲をかけられ、思ってもない所で転倒する。「なんで俺だけがこんな目に」と地に伏す。ただより幸せになりたいのならば、そこから立ち上がらなければいけない。また立って歩かなければいけない。そんな時に起立の力をくれるのは根性や反骨心というモーターだ。

私が「理性的」な生活環境が増えることに不安を感じているのは、正に根性や反骨心を鍛えるための「理不尽」な環境が減るのではないだろうか、ということだ。理不尽を受ける環境がなければ根性や反骨心は育たない。これのせいでちょっとしたことで自殺したり自暴自棄になったりする人が増えたら、それはそれでもったいないなと感じる。

KOOさんとサンドウィッチマンの話を聞きながら、そんなことをぼんやり考えた。そして今の私に理不尽な状況って有るだろうかと思い返すと、パッとすぐに思いついた。

それは「デスバース」だ。今やってるF2Pのオンラインゲーム。非常に面白いのだが問題も多い。人口が少ないため最高ランクの強い人に狩られ続ける、ラグが頻発する、スカイフィッシュ。ほぼ毎日律儀にプレーしているが、台パンの日々である。私にも「理不尽」環境は十分に用意されていた。良かった。今日も私の反骨心は精錬中だ。


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