見出し画像

動画感想 『【ゆっくり文庫リスペクト】E.M.デラフィールド『帰ってきたソフィ・メイスン(日本版)』

本記事は2020/04/23にmkt_mith 様が投稿された。
『【ゆっくり文庫リスペクト】E.M.デラフィールド『帰ってきたソフィ・メイスン(日本版)』
の感想などをつらつらと書いたものです


動画のネタバレも含みますので、
予め mkt_mith 様の動画を
是非ご視聴をお願いします。




最初に、

『まじ、すげぇの来たな、これ!』

と言ううのが、初見の感想です。

自分もゆっくり文庫リスペクト動画を作成しましたが、初作でこのクオリティを作れるのかと驚きました。
動画の技術や構成、表現など全てが高水準でできています。
鷹の爪を煎じて飲みたいぐらいです。

ただ、特に驚いた点は『翻案』です。
西洋文学の原作が見事に日本舞台へリメイクがされています。

◇ゴーストと幽霊

私はまだ原作は未読(4/25日現在 注文待ち中)なので原作のゴースト(ルブランというらしい)がどういった存在かはわかりません。
またお化けにも詳しくはありません。
見たことも、味わったこともありません。
ただ、海外のゴーストと日本の幽霊は「異なる存在である」とは認識しています。
昔、聞きかじったことなのであやふやですが、
ゴーストは死んだ人間そのまま。人格も意思も本人らしいです。
一方、幽霊は死んだときの情念や怨念が残った存在。魂はあれど、生前の人物とはやや異なった物であるのだと。
つまり、
   ゴースト = 生前の人物 ≒ 幽霊
といった感じ。
なので、ゴーストは割と西洋では受け入れられ、場合によっては親しまれまますが、日本ではほぼ恐れられ、祟りを鎮めるため鎮魂をしたりするとか。

では、mkt_mith 様の動画では、どうでしょうか。
動画内では『幽霊』と言われています。
しかし、私は本質的には『ゴースト』なのだと思いました。
なぜなら、幽霊は涙を見せる目的で姿を現しません

◇涙するゴースト

幽霊は泣かないとはいいません。
すすり泣く幽霊の話など山ほどあります。
ただ、それは死んだ時点での感情の現れの姿がほとんどでしょう。
何か生前に残した悔いの感情が「泣く幽霊の姿」となる。
そして、それは誰それかまわず一方的に訴える。
無念の情の塊なのですから。
しかし、動画作中の幽霊『お染(ソフィ・メイスン)』は怪異を起こす相手を選んでいた節があります。主人公である落語家とその奥さんには、『あの人物』が来るまで一切、姿を現さず、気配すら見せませんでした。
「帰ってきた」という表現もあるので、半年間屋敷にいなかった可能性もありますが、どちらにせよお染は自分の意思を持った存在であることがわかります。
そして、ラストシーンで涙を流す己の姿を見せに現れました。
自分の意思で。
今の自分の姿を見せたかった相手の前へ。


自由意志で行動できるのは人間です。しかし、彼女は死んでいます。
これらより私の中のゴースト観を作品内で見ることができました。

◇生者と死者

ラストシーンは本当に物悲しいです。
お染が本当に姿を見せつけたかった相手は、その気配すら気づかないのですから。何故なのかは、作中で語られている通り30年以上の時の流れからあの人物の中からお染の存在が消えてしまったことが要因でしょう。その上で、もう少し二人の現在の立ち位置が関係を考えました。
お染は死者です。つまり亡くなった時点で時間が止まったもう過去の人間です。一方、あの人物は生者。時間の流れにのって波乱万丈な人生を生き続けた未来の人間です。
過去と未来。
それが、この二人を生と死以上に接点を遠ざける距離を作ってしまったのだと思いました。きっと現世と冥府よりもっと残酷な分かれ目でしょう。
加えて落語家たちがお染の姿を見れたのは、物語を語る=過去の語り部という存在だからと想像しました。過去を重視してそれを次の世代に伝える者は悲劇から目をそらせません。
しかし、あの人物は成功し輝いた現在から先しか目に映らない。だから、もう過去の存在など見れるわけがないのです。きっと、酒の酔いが醒め、落語家たちから昨晩のことを聞いたとしても同じでしょう。
もう違う世界の人間になってしまったのですから

◇恐ろしいもの

落語家は、死してなお過去の恋人のお染を無下にし、ひたすら成功談を語り続けるあの人物が幽霊よりも恐ろしいものだと述べています。

ただ、この話どこかで聞いたことありませんか?

作中の時代は、ちょうど幕末の動乱が終わり、文明開化という新しい時代を歩む人間の時代です。人々は過去の動乱の悲劇を忘れ、輝かしい未来に向かっています。ここにあの人物の過去を深く顧みない自慢話が重なるのではないでしょうか?
人が恐れを抱くのは、自分への危機を感じた時です。
落語家が恐れたのは、あの人物そのものだったのは前提ですが、その裏には「あの人物が生きる世界に自分もいるかもしれない」という恐れもあったのではないか。私はそう感じました。

素晴らしい物語は警告を含んでいることが多々です。
読んでくださった方がどのような人生を歩んでいるかは、わかりません。
ただ、ふと後ろを振り返ってみてください。

そこに『涙を流すゴースト』は見えませんか?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?