人生ってシャトルランみたいじゃないですか?

鬱病を気遣いの良い善人ばかりがなる病気みたいに思う人がいる、というかあらゆる病気になった時点で被害者として扱われがちな世の中だし、まあそれも含め色々と可哀想だとは思う。

でもなんか虐待とまではいかないけど、でも多少なりとも手を出されて、グーではないけど叩かれた回数なんか記憶してなくて、投げ飛ばされたこともあるし、風呂から引きずり出されて全裸のまま蹲ってるところをひたすら怒鳴られ続けたこともあるし、そんな母親が鬱病になったからって優しくしろと言われても難しいですわって感じ。

私が小さい頃にも鬱病の時期もあった、鬱病は暴力的になりやすい、とか最近知ったけど、暴力とヒステリックを浴びた子どもからすれば知らんがな過ぎる。鬱病だろうがなんだろうが私にとって母親は私にとって嫌なことをしてくる人間でしかなかった。

というか鬱病関係ない部分絶対あるし。普通に無神経だし子どものことを自分のものだと思ってる。勝手に友達との交換ノート勝手に読んで内容について言及したり、大好きなアーティストのライブDVDを無断で私の机から漁って鑑賞したり、大切に使ってたランドセルを家の外に放り投げたり(取りに行った瞬間家閉め出された)、私が恋空読んだの知ったら出かけるときに「レイプされないようにね笑」とか言ってきたり。最悪。

身体が弱いらしいのは可哀想だと思うけど、喧嘩(というか一方的なキレ)の後に、お前のせいだと言わんばかりに寝込まれてきたので、寝込んでる母親見てもトラウマが蘇るだけで心の底から可哀想だと思えない。しかもお前を健康に生んだせいで私は不健康になったんだとか言われたことあるし。

今回の鬱は暴力的パターンじゃなくて(たまにヒスってるけど)、母親が優しい言葉が欲しい的な目でよく見てくるんだけど、視線を合わせないようにしてる。都合が良くないですか?子どもに愛される母親になれなかったのは自業自得だよ。

そんな母だったからシンプルに父寄りの子どもだったわけだけど、最近、あれ?父あんま母の凶行止めてくれなかったな?とふと気づいてしまって、なんか全てが嫌になってる。なんでこんな家族のために金を稼いで家計を支えているんだ?

まあ育ててくれたからね、感謝はあるよ。愛はなくとも感謝はある。だから最低限のコミュニケーションはとるし、ちゃんと毎月そこそこの額のお金も入れてる。でもいつでも仕事を辞められるような人たちとか一人暮らしできるような人たち見るとあーーーーってなる。綺麗なでかい家とか見てもあーーーーってなる。親さあ、掃除して欲しいよ。ずっと家いるのに。貧しい家ほど物を捨てられなくて家が汚いってやつ、あれまじです。

私はもう子どもは作らない。別に自分も子育てでヒステリックになってしまいそうだからとかじゃなく。この鬱憤を趣味で晴らしている現在、子育てする時間ないし、まあそもそも子どものいる家庭への憧れも大してないし、第一、子育てにまわす金はない。

金がない訳ではない。そこそこ貯金がある。でもこの貯金は親の介護が必要になったときに、介護付き老人ホームに入れるための金だから。憎しみと感謝に折り合いをつけた結果ね、親の介護はしたくないけど見捨てることはできない、っていうことで、この着地点になったわけです。

10年前くらいまではさ、私も子ども生むんだと思ってたんだよ。漠然と。母親から孫が見たい、誰々さん家は孫ができたとかしょっちゅう言われて。何で嫌いな親の言葉に影響されてたんでしょうね。大人になって広い世界に出てよかった、って思う。親の異常性に気づいたし、親といってもあくまで他人で、感謝と憎しみは両立するって分かったし。

でも職場もね、やばい人間いるし、仕事多いし、金稼ぐのも楽じゃない。大人になってよかったけど、仕事はもう疲れた。助けてくれ〜〜。

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