残業終えて売れうつ読んだ

私は母親から少しの虐待とそこそこのモラハラを受けてきた。
良い思い出もあるけれど、嫌な思い出のほうがずっと色濃くて、ずっと母親のことは許せていない。

子供の頃は、叩かれるのも、暴言を吐かれるのも、無視されるのも、大切なものを好き勝手されるのも、嫌だな、としか思っていなかった。自分にとっては当たり前のことだった。ああ、またか、と、またしばらく耐えないと、と、それだけだった。
大きくなってから、あれは虐待なりモラハラなり、名前のつくような、親を責めていいことだったんだと気がついた。

それからはもうずっと母親のことを憎んでいる。父についても、もう少し止めてくれてよかったんじゃないかと思ったら少し嫌になった。

風呂場から引きずり出されて全裸で蹲ったまた怒鳴られ続けたことや、大切に使っていたランドセルを玄関から外に放り投げられて、それを取りに外に出た隙に締め出されたこと。事あるごとに頭によぎる。

何でこんな親のために実家にお金を入れてるんだろう、親のために私の都合を変えなきゃいけないんだろう。

絶対に親の介護をしたくないから老人ホームに入れるための資金を貯めてる。全然足りないけれど。自分で準備しといてくれよ、と思う。私に養われる前提でいないでくれよ。

健康に、ある程度不自由なく育ててもらったのに、文句は尽きない。もっと親ガチャに成功した人達を見ながらずっと歯噛みしている。

自分って最低だなという感情と、いやこれくらい憎んで当然でしょという感情が交互にやってくる。

『鬼と天国』という漫画に、「家族だからといって愛さなければならないわけじゃないし、愛しているからといって許さなければならないわけでもない」という台詞があって、そのシーンを読んだときに私は号泣した。

憎んでていいんだ、って救われた気持ちだった。憎んでるから心を許さないけど、育ててくれた感謝はあるから養う。それでいいんだ、と自分の中で腑に落ちた。

それでしばらくは良かった。けれど母親が躁鬱病で通院しだして、そのうちに入院まですることになった。

母親による虐待とモラハラは躁鬱病のせいだったらしい。もちろん全部がそうではなくて本人の性格も混ざっているだろうけど。

母親と仲良くなかったからあまり詳しくは知らなかったけれど、なかなかなご家庭で育ったらしい。その育ちについても、今の状況についても、可哀想だとは思う。
でもだからといって許せない。親に自分の人生を邪魔されることに腹が立って仕方がない。

売れうつで矢晴が家族のことより自分のことを考えてて嫌な性格だ、と言っていて、自分のことのようで鳥肌が立った。私は矢晴ほど自責の念を感じていないし、死にたいと思うこともないけれど。

私の代わりに、私の恋人には若干希死念慮があって、私はそれが泣くほど嫌なんだけど、売れうつでは可純が矢晴に、死ぬのはいつでもいいよ、と言っていて驚いた。私はいつも、貴方が消えたら悲しい、明日も明後日も一緒に喋りたい、ご飯を食べたい、死にたいなんて言わないでくれ、と喚いている。
私は、君が好きだから君の感情ごと愛す、とは言えない。

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