無力さを痛感するという在り来りな事
最近私は中学校で、分からない問題を教えるサポートみたいな立場のボランティアを、やらせてもらっている。
なので、授業への発言権は無い。
でも、教えていると思うことがある。
しかし、発言権はないので、個人的にどうにかすることが理想だろう。
というか、言おうと思えば言えなくはないのだが、教師というのは万年キャパオーバーな職なので、ボランティアの意見など毒でしかない。
私が感じた問題としては
「方式が納得出来ない生徒」
私の意見としては
「そういう生徒は、もうその問題群をやるべきで無い」
誰しもが一度は経験したことがあるであろう。数学や算数の方式に納得できない。「そういうものだが」
そういうものは、どうしても納得できないものだ。
そして教える側も教えられない。なぜなら、教える側は研究者じゃない。ただの学生だったからだ。
そういった子供の真剣さは大事だと思う。
それは、ぜひ研究者に説明してもらいたい。
しかし、この場をどうするのが一番有意義なのか。
それは、飛ばしてしまうのが一番だと、私は思う。
その場にいるのは、教師と生徒であり、教師に研究者のような、深い理解はないので、生徒に説明するのは非常に困難であるからだ。
だから教師にできる事、それは、研究者に説明を求める事、そして、その問題を飛ばさせてあげる事である。教科書で分からないんだから、もう説明を求めるしかない。
まぁ、研究者に説明してもらうのが一番だが、大体の人間は、方式を100%理解しているわけではない。
その場にあったから使う、道具としてしか捉えていなく、それの詳細など意味がない、だって使えればいいでしょ、道具なんて
じゃあなぜ、現状は、飛ばさせてもらえてないのか?
それは、形式的な部分もあるが、そこが分からないと、後ろの問題が解けないからである。
じゃあ、教育改革をしろ、教師を学校を改革しろって話を大きくするには簡単だが。
現場にとっては非常に困難だろう。
ということで自分1単位で、なんとか出来ないか模索している訳だ。
でも、勝手に他の問題やらせちゃっていいのかなぁ?
それとも自分が深く理解していくか。
ちなみに私は教職課程にいる訳では無い。
フリースクールボランティアのついでにやってる事である。
そして割り振られる教室はランダム
全部知るべきかと言われると、若干うーんって感じだろう。
ちなみになんでこんなに真剣になっているかと言うと、フリースクールの方がめちゃイキイキしてて考える必要が無いからである。
(俺もどうせずっと寝てるだけだったし、フリースクールあったら行きたかった。)
話が逸れたが、というかまぁまぁ考えたけど無理だ、立場が悪すぎる
(日またいで気分が変わりこのままだと記事自体出せなくなりそうなので切る)
私は結構気分屋で、興味がどんどん移り変わっていくのでnoteも一気に書き上げないと、こういう事になるのが、うーんって感じ
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