【歌ってみた】死神/米津玄師【cover】考察

 どーも、乙楽です。
 今回は初の試みとして、動画考察でもしてみようかなと思います。
 とはいえ、そこまで各分野の知識がある訳ではないので、そんなに深くは掘り下げられないことはご容赦ください。
 今回取り上げる作品は、我が推し、儒烏風亭らでん(以下、「らでんちゃん」に統一します。)が2024年9月11日に動画投稿した「死神」です。縁起でもないタイトルじゃないかと思われるでしょうが、しばしのお付き合いをよろしくお願いします。

1.「死神」とは
 さて、「死神」という楽曲は稀代のミュージシャン、米津玄師さんが2021年にリリースしました。「死神」という物語のエッセンスを歌詞やMVにふんだんに盛り込み、自身のファンのみならず落語好きにも好評を博しました。
 死神、と一言で言いますと文字通り死を司る神様、という意味になりますが、ここでは落語の演目の意味で取り上げます。
 落語の「死神」は、現代の落語家でも比較的取り上げることの多い演目です。古典落語には分類されますが、ベースになった話はグリム童話の一つとも言われ、日本古来の言い伝えなどではない模様です。※諸説あります。
 この演目、物語も分かりやすいですし、タイトルに反して笑える場所も随所にあります。反面、凄みや怖さをお客に伝わるようにしなければならないので、演者にとっては歯応えのある、そして取り組み甲斐があるネタでしょう。

 ここで「死神」のあらすじを簡単に紹介します。
 「自堕落で妻子にも愛想を尽かされた主人公が、ひょんなことから知り合った死神に、上手いお金の儲け方を伝授される。その甲斐あって大金持ちになる主人公だが、元の自堕落癖が蘇ってしまう。再度同じ方法で金儲けを目論み、死神を出し抜く技を編み出すが・・・。」
というのが大元です。
 何故「大元」と表現したかと言いますと、演じる落語家によって、微妙では済まされないほどの改変が行われているからです。主人公が唱える呪文などは笑いの部分、いわゆる「くすぐり」になるのでさておきますが、一番の特色は「サゲ」と呼ばれる最後の部分の改変です。一応、底本となるものは最終的に主人公が死ぬ設定となっていますが、その過程を改変するだけでなく、何と主人公か生き残ってしまうという結末にしている方もいます。
 演者によって結末そのものが変わるというのは、数多ある落語の演目の中でも、あまり例のないことです。
 そのバリエーションの豊かさについて、ここで紹介するととんでもなく長くなりますので、詳しく知りたい方はwikipediaなどで検索してみてください。

2.「死神」動画の気になるポイント
 さて、ここからが本題です。
 私が推してやまないVtuber、儒烏風亭らでんちゃんが久々にソロで出した歌ってみた動画がこの「死神」です。
 動画そのものは、比較的米津玄師さんのオリジナルMVを踏襲していますが、動画のそこかしこに様々な隠し要素と伏線を忍ばせているのです。ここから、その忍ばせたものを一つずつ考察していきたいと思います。
《!警告!》
 以下の文章は100%が乙楽の妄想です。他人の妄想が苦手な方はブラウザバック推奨です。
 また、あまり気分の良い解釈にはなりませんので、ある程度の覚悟を持ってお読みください。

 ①高座の題字
 らでんちゃんが上がる高座に掲げられた「知者楽水」という言葉、これは孔子の言葉の一つ「知者楽水 仁者楽山…」からのものです。
 知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ。頭が良い人は動き回ることが多い、というように直訳されますが、解釈によっては小賢しく動き回る、と取られる場合があります。まぁ孔子は基本的に「仁」を尊ぶ思想の人なので、そのあたりを鑑みてのものでしょう。
 まぁ「死神」の内容を鑑みるに、ここではあまり良い意味では使われてなさそうですね。
 ②羽織を着たらでんちゃん
 黒手袋を着け、余裕しゃくしゃくの表情をするらでんちゃんが、高座に上がります。
 ここで注目は、羽織を着ているということです。基本的に羽織を着て高座に上がれるのは二ツ目以上の落語家でして、少なくとも数年は修業を積む必要があります。彼女が心なしか大人びた表情をしているのは、それを想起させるためかもしれません。
 ③客席のらでんちゃん
 客席側には5人のらでんちゃんが、それぞれ違う衣装で座っています。この5人の彼女を、私はこんな感じで推察しました。
 真ん中:過去 左下:キュレーター 左上:怪盗らでん?(笑) 右上:人妻 右下:OL
 真ん中は見たままですが、右側は割と現実的な未来、左側は理想(妄想)の未来を指しているように感じました。
 途中、真ん中を残して客席から消える演出は、米津玄師のオリジナルMVにもありますので、本家をリスペクトしてのものだろうと推察できます。重要なのは「消えた理由」です。
 さて、消えたのはらでんちゃんの思い描く「未来」だとすれば、その未来はどこへ行ったのでしょう?
 ④ノーマルらでんちゃん
 この表現、すごく変な感じがしますが、他の表現が思いつかなかったのでこう表記します。
 行く宛の無さそうな表情ですね。どこかしら、人生そのものを彷徨っている雰囲気すら感じます。
 この後フラッと寄席に入り、高座のらでんちゃんと出会うことになります。
 ⑤7つの炎
 音楽に合わせ、炎(蝋燭?)が一つずつ消えていきます。少し見づらいのですが、最後の一つはギリギリ消えずに残っています。敢えて1本だけ残したのか、それとも何かの暗喩なのでしょうか。
 ⑥2枚のポスター
 ノーマルらでんちゃんが虚ろな表情で寄席に入るシーンで、左右にポスターが貼られています。左側にはらでんちゃん以外のReGLOSSメンバーが「DEV_IS」というユニット名で並び、右側には「落語かわら版」というタイトルで、落語家らでんちゃんらしき人が写っています。
 このポスターの間にらでんちゃんがいる、ということは何か意味がありそうですね。
(註:右側ポスター画像はMVの絵師さんのオリジナルイラスト『紫檀琵琶を奏でるらでんちゃん』っぽいのですが、ピンボケ演出のため確証はありません)
 ⑦笑うらでんちゃん
 高座のらでんちゃんを見るノーマルらでんちゃん(ややこしい)は、それまでの虚ろな表情が一変、笑顔となります。そして高座らでんちゃんの掌の炎を、どこかしら邪悪な笑みを浮かべながら見つめ、高笑いとともに映像は暗転し、幕引きとなります。
 この歌の合間、何箇所か笑い声入りますが、どれも少し常軌を逸した感情のように聞こえました。

3.考察
 とまぁ、ここまでMVの気になる部分を抜き出してみましたが、ここから乙楽個人の考察結果を書き出していきます。文章にすると以下のとおりです。

 落語家になりたいという夢のため、死神と取り引きした儒烏風亭らでん。落語家以外の未来を紡ぐ蝋燭の炎を全て消し去り、ついでに取り引きした死神すら「アジャラカモクレン」の呪文で消し去った。邪魔な全てを亡きものにした甲斐があっての今日の高座、栄光を掴もうとする彼女は余裕の笑みを浮かべる。
 しかし、小賢しく落語家らでんに出し抜かれた死神は自分の代わりとして、消し去った未来の一つ、ReGLOSSメンバーとしての儒烏風亭らでんに死神としての権限を与える。
 自分を消し去った張本人を見つけた死神らでんに詰め寄られた落語家らでんは、掌の炎を差し出す。吹き消せば『儒烏風亭らでん』の存在が全て抹消されることを理解しながら、復讐を果たせる昏い喜びと共に、死神はその炎を笑いながら見つめるのだった。
 「面白くなるところだったのに」
 この言葉は、どちらのらでんちゃんが発したのでしょうか。

 はい、どこにも救いのない、ひどい解釈です。推しのMVに何て解釈を当てやがった、とお思いの方もいらっしゃるでしょう。全くもって仰る通りです。
 ここからは私が挙げた解釈を、先ほど挙げたポイントを基に順を追って解説します。

 ①の題字、これは「小賢しく死神との取り引きを欺いた」の暗喩と捉えました。演目でも主人公は割と姑息な手を使って死神を欺きますので、解釈はそこからヒントを得ました。
 ②は、死神を出し抜き、我欲をものにしたらでんちゃんの姿です。余裕と落ち着き、ここからの栄光の日々を疑わない、どことなく尊大な雰囲気を感じさせます。
 ③④⑤⑥はまとめてしまうと「蝋燭を消された未来とその結果」です。落語家らでんがかつて望み、そして死神との取り引きで蝋燭を消され、絶たれた未来です。
 ⑤で消された蝋燭は6つです。③の客席の4つと④のノーマルらでんちゃん、そして出し抜かれた死神です。残り一つは落語家らでんのもの、と考えれば辻褄は合います。
 ⑥でReGLOSSが4人、しかも「DEV_IS」と名乗っているのは「5人揃わなければReGLOSSではない」ということでしょう。そりゃノーマルらでんちゃん、この思いを持ったまま消されたら怒りと絶望で復讐を誓いますわな。
 そして⑦で、遂にノーマルらでんちゃんと死神(の怨念)は復讐相手と対峙します。生殺与奪の権利を握ったノーマルらでんちゃんは、笑ってその炎を見つめます。

 さてここで、最後のシーンをもう一度思い出してください。
 ノーマルらでんちゃんは高笑いをしていますが、落語家らでんちゃんの蝋燭を吹き消す描写は、入っていません。米津玄師のオリジナルMVでは明確に吹き消す音が入っていますから、ここはMV制作時に、意図的に改変しています。
 この部分は、おそらく制作者「儒烏風亭らでん」としてのマルチエンドを採りたかったのかな、と考えます。

 落語家の前座見習として稽古に励むらでんちゃんの落語愛から、演目としての「死神」への思いと、実在するマルチエンドへのこだわりを見せたかったのはあるでしょう。
 もう一つは、多分このMVで一番大事な思いだと考える「ReGLOSSは5人揃ってのもの」という、らでんちゃんのReGLOSS愛です。
 拙稿「儒烏風亭らでんの涙」でも前述した通り、らでんちゃんはホロライブを辞めようか本気で悩んだ時期があったと告白しています。本音も、弱音もぶつけ合って、互いに成長していくことを誓うReGLOSSメンバーが欠けるなんてまっぴら御免、そんな決意もこのMVには込められていると、私は考えます。

 ただ、オリジナルボイスの台本を自分で書くらでんちゃんのことです。結末の解釈を、我々聞く側に遊び心でぶん投げた、という可能性も否定できません。

4.終わりに
 今回も、またまた推し語りとなってしまいました。如何でしたでしょうか。
 この投稿、一度ボツにしたものを再構成しています。考察の内容が個人として、何よりでん同士として、世に出していいのか非常に悩んだからです。
 結果的に投稿しようと考えたのは
「ちゃんと一度形にしてみて、叱られるならちゃんと叱られよう」
という思いからです。皆さまのご意見、お待ちしております。

 なお、この考察を作成するにあたり、Xで絡ませていただくフォロワーの方々の考察を参考にさせて貰いました。集合知というものは本当に凄いものです。おかげさまで、何とかこのような形でまとめられました。この場を借りて、皆さんに感謝申し上げます。
 たった3分ちょっとの動画に数時間かけて考察をする、という行為は結構疲れるものですね。
 今後、同じような試みをするかは未定ですが、時間がまとまって取れましたらやってみます。

追伸。
お彼岸の中日にこんな文章を投稿するのは、ある種罰当たりかもしれません。
スペアの蝋燭は、何本か準備しておきましょう。

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