ジェフ千葉への思い(4)

(前回のあらすじ)
 史上最強の指揮官、イビツァ・オシムを迎えて快進撃を続けるジェフ市原。2年連続で上位を争うチームは来る2005年に向けて牙を研ぐ。

 2005年。クラブにとっては様々な変革の年でもあった。本当に色々変わり過ぎたので、ざっくりと紹介する。
 まず、クラブのホームタウン広域化により、市原市と千葉市がホームタウンとして認定された。これに伴い、クラブ名が「ジェフユナイテッド市原・千葉」に変更となったのである。(註1 )
 次に、ホームスタジアムがこれまでの市原臨海競技場から「蘇我スタジアム」へ移転することになった。後にネーミングライツで「フクダ電子アリーナ」と名付けられたこのスタジアムは、収容人数が約1万8千人の「サッカー専用スタジアム」で、全面屋根あり、観戦の死角がほぼ無いという日本屈指(当時)のもので、杮落としの試合を観戦した私は「ついに我が家を手に入れた」と、涙腺が緩んだのを覚えている。(註2)
 そして肝心のチームはと言えば、外国人選手を完全刷新してシーズンに臨むことになった。
 元オーストリア代表FWのマリオ・ハース、元ブルガリア代表DFイリアン・ストヤノフ、元ルーマニア代表MFガブリエル・ポペスクという、いずれも東欧の実力派を一気に揃えたのだ。ただし、知名度はそこまで高くなかったことと、クラブが主力放出を防げなかったことから、乙楽を含めてサポーターの昂揚感はそこまで上がらなかったことを記しておく。(註3)

 そしてシーズンが開幕すると、リーグでは優勝争いから一歩引いた形ではあるものの上位には留まり、ナビスコカップ(現ルヴァンカップ、リーグカップ)では難なく予選リーグを突破。準決勝で浦和レッズを下し、決勝進出を果たしたのである。
 決勝の相手はガンバ大阪。爆発的な得点力を誇る相手にどう立ち向かうか、深夜の国立競技場で列待機しながら、私の緊張は高まった。(註4)
 そして迎えた決勝当日。試合開始から激しいプレッシングと粘り強い守備でガンバの攻撃陣を水際で防ぎ、時折見せる鋭い攻撃でガンバゴールに迫るも、なかなか得点は入らない。
 前後半、延長を経てもお互い譲らず、勝負はPK戦へと持ち込まれた。
 ロッカールームへ下がるオシム監督(註5)に優勝カップを届けたい。チームの意思はGK立石智紀に宿った。ガンバ一人目のキッカー、日本代表MF遠藤保仁のキック(当時の遠藤はPKの名手)をストップしたのだ。
 対してジェフの選手はミス無く4人全員がゴールを決め、迎えた5人目のキッカーはFW巻誠一郎。日本代表候補にも選ばれた彼のキックはゴール右上に。
 「やべぇ!浮いた?」と思ったのも一瞬、ボールはゴールネットに突き刺さった。

 ジェフユナイテッド市原・千葉。ナビスコカップ優勝。
 Jリーグで初となるタイトルを、国立競技場で掴み取ったのである。

 乙楽はこの後の記憶がすっぽり抜け落ちている。
気付いたら千駄ヶ谷駅のホームで黄色いレプリカユニフォームを着たサポーターと共に電車に乗り込むところだった。多分、魂が半分抜けかかった状態だったと思う。いや、ほぼ抜けてたな。よく生きて帰れたものだ。
 帰宅してシャワーを浴び、部屋で缶ビールを開けて一口飲み、ハンガーに掛けたタオルマフラーを眺めたとき、涙がボロボロ出て止まらなくなった。
 1999年、誰が見てもどん底だったジェフが、タイトルを獲った。
 どれだけ主力選手を引き抜かれても動じることなく、勝ちを積み重ねるチームへと生まれ変わった。
 それがどれほど誇らしいことか。

 応援するチームが勝ったとて、自分が勝たせた訳じゃない。そんな理屈はハナから分かっている。
 それでも、自分なりに思いを託したチームが勝ち取ったものは、我がことのように嬉しかった。

 その後、リーグでは惜しいところまで健闘したものの、リーグタイトルには及ばなかった。(註)
 それでもタイトルホルダーとしての自信をつけたチームは、来年リーグタイトルをとれる。そんな確信に近い願望を、夢物語ではなく、現実可能な目標として持つことすらできた。ジェフの未来は、輝くほど明るい。

 あの(放送禁止用語)男の大馬鹿な発言が全てをぶち壊すまで、私はそれを確信していたのである。
(次回に続く)

※おかしい、26日の昇格プレーオフに向けて軽く思い出話をするつもりが大長編になってしまった。こんなつもりじゃなかったのに。
※この続きはプレーオフ準決勝、決勝が終わってから投稿予定です。正直、今はこの先を書く気力がありません・・・。

註1 政令指定都市がホームタウンになったことは喜ばしいが、それに伴って略称が「ジェフ千葉」になったことに首を傾げたサポーターも多かったと思う。これまでの「市原」は何だったのか、という思いは少なからずあった。事実、これを境にクラブと市原市の距離は少しずつ離れていくことになる。
註2 初フクアリは、私の心のフィルターを通して光り輝いていた。スタジアムはここまで美しいものかとすら思った。なお試合は引き分け。対戦相手の横浜Fマリノスには、その後もこの地で苦渋を飲まされることになる。
註3 派手な補強でなかっただけでなく、このオフに主力選手が引き抜かれたことも意気が上がらない理由の一つだった。日本代表候補のDF茶野隆行、MF村井慎二の二人が、揃ってジュビロ磐田へ移籍したのだ。優勝を争うライバルチームに主力が移籍する、このニュースには本当に凹んだ。
註4 前夜列待機は、今では完全ご法度です。深夜に食べたホープ軒のラーメンが本当に美味かった。なおこの時、サポーターの中には冠スポンサーのナビスコにあやかって「リッツパーティー」を敢行した猛者もいたらしい。具体的に何をしたかは謎。
註5 オシム監督はPK戦を殊の外嫌った。90年W杯で破れたアルゼンチンとのPK戦も、ベンチで見ることなくロッカールームへ下がったそうだ。曰く「これで勝負が決まるのを見ていられない」だそうで、死力を尽くして戦った選手たちが残酷な決まり方で勝敗がつくことを直視できない御仁だった。
註6 この年から1シーズンのトータルでリーグ優勝が決まる方式に変わったため、最終節までジェフにはわずかながら優勝のチャンスがあった。しかし上位が勝利したため、リーグタイトルには届かなかった。ちなみにリーグを制したのはナビスコ杯準優勝のガンバ大阪。ガンバもまたリーグ初タイトル獲得だったのである。


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