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代弁者でもあり伴走者でもあるエンタメ

こんにちは。ののさんです🐨

今日はちょっとセンチメンタルな気分なので、私にとってのエンタメについて書いてみようかと思います。

エンタメしか勝たん!

 私にとってエンタメはなくてはならないもの。人と会うことに制限がかかったここ数年の中で、一番辛かったのはエンタメが抑制されたことかもしれない。人によってはエンタメはお家でも楽しめるものという感覚があるかもしれないけれど、私の求めるエンタメが繰り広げられる最高の場所といえば、ライブ会場であり、スタジアムであり、劇場であり映画館だったので、それらでエンタメを謳歌できない時間はまさに地獄だった。それと同時に私にとってエンタメはなくてはならないものだという再確認ができた時間でもあった。まさにエンタメしか勝たん! というわけ。

エンタメは代弁者であり伴走者

 私にとってのエンタメは音楽ありきではあるのだけれど、多くの人にとってもエンタメって必要だと思っている。「エンタメは娯楽だ」といえば、生きる上で必須科目ではないと感じる人もいるかもしれないけれど、時にエンタメは代弁者であり伴走者なのだ。言い換えればメンターであり、コーチである。
 例えば私は昔浜崎あゆみにものすごく惹かれた。それは、外見のかわいさや当時のカリスマ性もきっかけではあるけれど、一番の魅力は彼女本人が書いている「歌詞」にあった。

 田舎で育った私はある日原宿に遊びきていて、そこでちょうど浜崎あゆみのプロモーションをパルコ前に広場でしているところに遭遇した。
そこで私が耳にしたのが「A song for xx」という歌だった。

居場所がなかった
見つからなかった
未来には期待できるのか分からずに
A song for  xx /浜崎あゆみ

 この歌詞が私の中に入ってきた時、自分の人生に少し自信を無くしていて、自分が大人になることにも不安を感じ、親にわかってもらえる期待も無くしかけていた時だった。まるで私の心を代弁してくれているような気がした。そしてこの曲をずっと聴いていた私は、

もう陽が昇るね
そろそろ行かなきゃ
いつまでも同じところにはいられない
A song for  xx /浜崎あゆみ

という歌詞を聞いて、上京することを決めた。

エンタメと共に生きる私たち 

 これはほんの一例で、私は数々の歌詞に救われて今がある。
 自分が言葉にできなかった気持ちを誰かの歌詞が代弁してくれたり、何か成し遂げるときに応援歌として伴走しながら支えてくれたり、道標として答えを見つけるヒントをくれたりした。
  受験も失恋も乗り越えるときに支えてくれた音楽やラジオがあって、ドラマの主人公と自分を重ね理想と現実を比べて一喜一憂する日もあれば、映画の世界に浸って私の物語を私も描いてみたい・・・そんなふうにもがき苦しんだ夜もあった。それに、孤独になりかけそうな時、ライブ会場での一体感やスタジアムで聞く声援に、自分もその一部なのだと嬉しくなり、大袈裟にいえば「生きていること」を実感した。 誰もが懐かしい曲を聞けば、一瞬であの頃のほろ苦い自分に戻ったり、泥臭く生きた青春がフラッシュバックした経験はあるのでは? 
 野球少年だった誰かさんは夢破れて、今はスタジアムで活躍するプロの選手に自分の夢を馳せているかもしれないし、ステージに立てなかった誰かさんは、アイドルを応援してその成長や成功を見ることで、自分の未完な気持ちを埋めているのかもしれない。それは一見依存のように思うかもしれないけれどそれは違う。エンターテイナーとしてエンタメを届ける側も、受け取ってくれて応援してくれる人がいなければ成り立たないのだから。そうしてお互いに誰かの役に立っている循環が生まれているのがエンタメなのだ。

 自分では達し得ないところに共鳴し、親近感という共感した熱い想いが生まれた証があって今がある。それこそがエンタメの醍醐味だと思うから、私はエンタメをやめられない。

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