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青春を捧げた音大受験

遠い昔の音大受験のお話です!(長めです)
※私の経験なので今の音大受験形態と違いがあります。

□学科試験
 国語、外国語(英語or独語)、小論文
国語は漢字や四字熟語や慣用句がたくさん出るとのことで、鬼暗記!笑
田舎の高校は独語なんてやらないので英語一択。

傾向掴んで暗記すれば学科は難しくない。

□ピアノ科課題曲、自由曲、計3曲(暗譜)複数候補曲から選択
 ( )内は弾いた曲
 バッハ平均律クラヴィーア曲集よりフーガ
  (2番c-mollフーガ)
 ショパンエチュード
  (Op.25-1)
 ベートーヴェン、モーツァルト、ハイドン
  ピアノソナタ(時間制限有り)
       (ベートーヴェンピアノソナタOp.2-2
        第一楽章、終楽章)

□新曲視唱(その場で渡された旋律を音程、リズム正しく階名で歌う。開始音、主和音は出してもらえる)

□コールューブンゲンより一曲
(12〜20小節くらいの短い旋律の視唱練習曲集。30曲くらい範囲指定されている中の1曲を指定されて歌う。開始音は音出ししてもらえる)

□楽典
楽語、調判定、移調など、音楽理論の基礎の記述テスト(100点狙える)

□聴音
・16小節程度の単旋律聴音
調と拍子は提示され、一段ずつ聞き取り(ピアノで音出しされる)楽譜にしていく
・4声体聴音
S.A.T.B.の4和音進行の8小節程度の曲を聞き取り楽譜にする

□面接

○受験期間は前泊して4泊5日くらい。大学によって曲や試験内容が違うため併願が難しい。(受験料など金銭的にも)
○志望大学は当時推薦制度はなかったため、一般受験、一発勝負。

バクチです笑
中3で進路決めて、いくつか音大を調べて、以前から気になっていた大学に決めました。それまで習っていたピアノの先生(音大受験対策してくれる教室だった)に相談したけれど、親子で違和感感じて思い切って師事する先生を変えました。 
その頃、両親がグランドピアノを買ってくれました…!本当に感謝…。。。
(浜松まで選定に行きました)

上記の項目をクリアできるレベルに準備していくには訓練と時間が必要で、主科レッスン1時間とソルフェージュレッスン1時間15分(楽典、聴音、視唱などの準備)を受けていました。

鶴見の先生が3ヶ月に一度の頻度で来てくださっていたので、その時もレッスン。
大学のソルフェージュの先生も来られることがあり、特別レッスンなるものも受けました💸 
レッスン💸レッスン💸レッスン💸!!!

高校進学は、第一志望が遠かったので、比較的入りやすい近所の高校に進学しました。

ピアノは、時間があれば弾いていました。
といっても集中力は2時間が限度だったので、時間は区切ってライトな練習挟むなど、いろいろ組み合わせていました。

基礎練
・ハノン
   ハ長調はデフォルト。調変えて、31番までは毎日数回(リズム変奏などもするので)弾きました。それに加えてオクターブスケールや跳躍、同音連打メニュー、、和音、、、など様々後半のメニューを組み合わせて練習
・スケール、カデンツ、アルペジオ全調
これはもう、食事のようなもの。必ずやるもの。笑
スポーツ選手のウォーミングアップに近いかもです。

弾かなきゃ弾けるようにならないもん。
(ハノンやドホナーニ等、基礎練の大切さについては、いつか整理して書きたいと思っています。ハノンやスケールはつまらない。寒気がする、だから弾きたい曲だけを弾く。など割と耳にしますが、いかに大切なのか。について。上達したい方にはお伝えしたい。確かに辛いけど、ある領域越えると景色が変わりますから…!!!)

その他、ツェルニー50番、課題曲以外のバッハ平均律も常に弾きました。
レパートリー曲は、その頃はショパンのバラードやスケルツォなど弾きました。

楽典は100点取れるから、と先生に言われて過去問など解きまくりました。
時々学科で落ちる人がいる、とも聞いたので、電車の中が勉強?暗記タイムでした笑

青春の17才✨✨色めき立ってる友達がいる中そんな毎日でした。
当然彼氏はできないし、好きになる人(かっこいいなと思う人)もいなかった。そんなどころではない!!!!

横浜市の鶴見まで一人でレッスンに行っていたので、都会を知ってる人ってことでちょっとしたステイタスでした笑(田舎あるある)
友達は察してか、私を遊びに誘わなくなったし、いやみを言われたこともある。
でも発表会に聞きに来てくれたり、合格祈願のお守りをくれた友達もいる。
嫌な人のことは考えないようにしよう、て当時思った。

幸い同じ高校に音大目指す友達がいたので、とても励みになったし、大学の夏期講習で知り合った県内の友達と情報交換などして励まし合ってました。講習会は夏期と冬期に4日間くらいあって、これも宿泊して参加していました。
だんだん全国規模で友達が増えて、絶対この子達と一緒に音大生になるんだ!という気持ちが強まりました。
本当に励みになっていました。
講習会で習ったソルフェージュの先生がとても素敵な先生で、入学後も教われたらいいなと淡い期待もしながら。
(実際4年間担当していただけました!とても、厳しかったけど!!)

そして受験シーズンは2月。
クラスの半数以上は推薦で進路が決まっていた。
ビール好きの担任にも結構心配された。
本当にお前大丈夫か?って笑
いくしかないです!て感じでした。

池袋のサンシャイン近くのビジネスホテルに4泊5日滞在。県内の友達と一緒に予約した。

実技本番ガチ緊張。よく覚えていません。
廊下で一人ずつ椅子に座って待っていたような。
少し会話した隣の子とは、入学後同じクラスでした。
時間制限があるので、試験官の「はい、結構です」ていうドライな声が響いて終わり。

楽典は手応えあった!
聴音…記憶にない。
視唱はバッチリ対策していたので緊張して声が震えたけど冷静に歌えた。
国語の漢字、うらない、を呪いと書いたのは今でも覚えてる。
面接は、入学後学びたいこと、取り組みたいこと、将来の夢など話した気がする。

合格発表は卒業式前日。
信じられないことに、当時はこの大学の合格発表は、現地まで行かねばなりませんでした😂

姉が関東に進学していたので、一緒に行ってくれました!
無事名前を見つけたときは心底ホッとしたし、やり遂げた思いが自信につながりました…!
報告の電話をした時、母は泣いていました。

小さな田舎町から音大に進学、て当時珍しかったのか、余程記事のネタがなかったのか、その年の夏の町内広報誌に載せていただきました🤣

合格すれば、憧れの一人暮らし!気持ちに寂しさは全くなかったです。前しか向いていませんでした!
ハッピーエンドのようですが、これからが、苦難の幕開けです✨
学生生活については余力があれば書くかもしれません。なんせ、S〜Cまで成績履歴ありの山あり谷あり、心が壊れかけたり、辛いことも楽しいこともたーくさん。濃いぃ4年間なので…

ここまで読んでくださり、お付き合いくださり、ありがとうございました!!🌸🌸🌸

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