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生きる。生きている。


しばらくすべてのSNSをお休みしていました。

「続けてみよう」と思って書き連ねていたnoteの記事。

続けるという言葉の意味を、じぶんで決めてみました。
するとなんだか書き続けることができていて、楽しくなっていた矢先のこと。

10月は、来年を先取りして過ごそう!と意気込んで、やりたいことを詰め込むスケジュールに。
数カ月前から目論んでいました。

わたしがやりたいことは、自由にイメージしたことを表現したいだけ。
1度セッションをやめて、書く、話すにしぼり、楽しんでみようと思いました。

命を育むことにも関わりたくて、
農作業の時間もふやしたスケジュール。

もっともっと家族と会話する時間を増やして、
わたしを満たす時間もたっぷりと。

のんびりと、こころが落ち着いている。
そんな暮らしにあこがれもあったと我に返っていました。


理想のスケジュールは、
予想外のかたちでやってきた10月。


関わりたいと思っていた農作業には、ものすごく時間を費やすことができました。
おばあちゃんとの対話の時間を色濃く持つことができています。

スマホを手放し、必然的にSNSから距離をとり、Wi-Fiのない空間をあじわう。

温かいごはんとお味噌汁、少しのおかず、お漬物を昼、夜と食べて。

おばあちゃん、おかあさんと、とめどなく会話し、わらったりムッとしたり。


できることをできるひとがしながら、役割に押し付けられすぎず、押し付けすぎず。

星をよむ時間は減りました。
かなり…いや、ものすごく。

だけど、こうやって文字を紡ぐことができ、娘との時間もたっぷりある。

ただひとつ、お金は少ないけれど、生活には困っていない。

…あれ?
わたし、結構しあわせじゃないか?

この時間の流れになったキッカケは、おじいちゃんの死。

おじいちゃんが、いなくなった、と知らせを受けた翌朝。

SNSをひらいたら、友人が出産を終えて、ひとつの命が誕生したよろこびであふれていました。

「おめでとう!!」と、心からメッセージを送った瞬間でした。

あぁ、命は尽きるからこそ、新たに生まれるのだと、唐突に悟った気がします。

きもちが宙ぶらりんのまま時が過ぎ、1週間ぶりにおじいちゃんが大切にしていた畑へ。

おじいちゃんが植えたきゅうりが、
たくさんたくさん、実がなっていました。
この1週間、雨も降らず、お水もあげていないのに。

目の前の命に、涙が出そうになりました。

自然は、ひとの手がなくとも生きていける。

きゅうりにチョキンとはさみをいれると、
したたる水に驚きと感動と。


あぁ、生きているんだなぁ。
そして、おじいちゃんはもうここにはいない。

分かっているけれど、受け入れられなくて。
受け入れているけれど、理解したくなくて。

そんな時間も、初めて味わいました。

おじいちゃんが残してくれたものと、最期のメッセージ。

たくさん、たくさん、受けとっている最中です。
まだまだ、時間がかかりそうだけれど、少しずつ、ほんの少しずつ、前を向いているよ。


2023.11.09

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