16 支離滅裂ですいません(汗)

やったー16だーー

というわけで年初の雑感。

我々は分かり合えないにしろ、お互いの存在を意識しつつ存在を積極的にかかわらずとも承認しあうことで、限定された交流(商取引、情報取引)を広げたり狭めたりしながら 、適応論的に争いよりも協力が有効である(らしい)ことを理解し、促進して(とはいえときには衝突しながらも)個体数を増やしてきた。


それは生物学的な種としては正しく、遺伝子的にも、脳内の理性においても齟齬はなかった。
しかしながら、個体数増加そのものが全体としての調和(地球に限定してもなお)を乱すほどの数量になったときに、協力という武器をうまく、拡大より循環や持続性、増加より現状維持もしくは減少、好奇心よりも冷静さ、進歩より選択幅の狭小に活用することの難しさがある。 
・多様性の拡大が合意形成の難しさを増加させる 。
・一人にしろ、集団にしろ、かたくなでいることを許されるミニマムなブロック経済圏の形成が可能、もしくは可能なように思える周辺状況。 
・本能的である種としての拡大、増加思考と逆行する地球環境を維持するための科学的解決策。
・知性のミニマムなブロック化が可能なサイバー空間の存在とその実生活への影響 。
自分の思いこみを含めた以上の状況をふまえつつ
2000年代以降、正義論の流行って、てんでばらばらに膨張していくイデオロギーや価値観を法律や宗教や国連以外のものが一つの方向性を見出すとしたら正義しかないよね、みたいなことだったと思うんだけど、
結果として、多くの価値観が併存しながらも、「正義は一つというのは幻想だね」ということ、各個人が所有する正義の存在を照射しただけ、というところに落ち着いた?の?か?


何が正義かではなく、
「オレはこれだけは何を言われても考えを曲げないよ」という態度が、「あ、それ正義だわ、あなただけのだけどね」みたいになって
人の数だけ正義がある。みたいな、振出に戻るっていう(笑)オチ。
サンデルがやっているようなディスカッションによる合意形成を目指すパフォーマンス自体を社会が認知したときに、社会全体で「んーー分かり合えないね、オレたち」みたいな雰囲気作っちゃったよね。 
それは普遍的結論ではなく、その結論を許されているに過ぎないんだけど。

そもそも正義って謙虚さを欠くから、他者に対し抑圧的になるし、 
合意しなければ食えない!というデッドラインもないので、いつのまにか自分とちがう他者を屈服させたいことが目的になりがち。

合意を目指す過程そのものが生存権への挑戦と問題がすり替わり、他を争いにより消滅、屈服、させなければならないという、いつの間にか切迫感でいっぱいの雰囲気になってしまう。


正義論も所詮は多様性の伸長により脅かされる既存の倫理感のヒステリー反応であったのかも知れない。法律にも宗教にも哲学にも頼れないなら国に依存しそうになるけど、ゆくゆくは多様性は国も否定する、のでは?という恐怖心が昨今の右傾化の根っこのような気がする、左派への対立軸としてではなく

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