12 人は一人では生きていけないか?

長男はニートだが、ひきこもりではない

買い物も行くし、たまに日雇いバイトにもいっている

夜中に通信ゲームに仲間とやっていて、よく人を殺している。

オレも嫁も特に気にしていないので家族間でもめることもない、気にしてないというか期待してない。長男だけでなく他人はコントロールできないので、そういう態度が身についてしまった。

仲が悪いということもなく、いいわけでもない。会話がないわけではないが、近況報告し合うほどでもない。

最近、引きこもりというのは新たな人類の挑戦ではないかと思うようになった、当事者のみなさんには申し訳ないけど、苦しいのは周囲の無理解故であって、制度的システム的には一人で生きて一人で死ぬ未来も許容されていくんじゃなかろうか、

古代より狩猟採集生活のなかで、集団で行動することが適応論的に優位と学び、数を増やしてきた人類、コミュニケーションの力で他の哺乳類を圧倒する力を手にいれ、さらに農耕生活に入り、安定的食糧供給が(ある程度)保証されると、さらに数を増やしていった。産業革命以後は言わずもがな。

ここまでは他種にはないコミュニケーション能力をいかした組織力で(たまに圧倒的天才を受け入れながら)科学技術の発展、工業力の伸長、社会システムの構築をささえてきた。

で、

それで、

ここまできたらもう、会社とか家族とかを積極的にやらないといけない理由は「楽しい」以外にあるのか?家族とか会社とかって自分がすり減る要素しかないよね、と長男は言っているのではなかろうか、あ、もちろんオレも賛同。経済という最大の問題がゆるせばね、長男にとってはいかに稼ぐか?という問題の中に、少なくとも今のところは全く会社に所属してという考えは毛頭ない。(次男は真逆な考えなのはおもしろい、アニを見てきたからだろうか?)

愛とか絆とかいって一人では生きていけないとスローガンをすりこまれ、紐帯に無理に巻き込まれてきたけど、愛とか絆はとりあえずネットフリックスの中で展開されるのみになっていくんじゃなかろうか

先の話ね、引きこもりやニートは高度な社会システムからこぼれた問題点と扱うよりも人類の壮大な社会実験と考えた方が前向きじゃない?

とかいって、おれもコロナにかかれば痛い~苦しい~とかいって、家族と会いたい~とか言うんだろうな

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