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山田英生編『温泉まんが』には入れてもらえない大人漫画:井崎一夫『温泉ツーさん』と田崎友彦『草津漫画読本』

 山田英生編『温泉まんが』(ちくま文庫、2019年)という本があります。杉浦日向子、つげ義春、つげ忠男、ますむらひろし、白戸三平、楳図かずお、上村一夫、池辺葵、刀根夕子、松森正、楠勝平らの「温泉まんが」が一冊で楽しめる良い本だと思います。

 ところが、大人漫画にも温泉漫画があるのに、収録されていないのです。温泉漫画というのは大人漫画にいかにもありそうではありませんか。そう、あるのです。今回は、井崎一夫『温泉ツーさん』を紹介いたしましょう。ついでに、大人漫画ではないのですが対象は大人だろうということで、田崎友彦『草津漫画読本』も紹介いたします。こちらのほうがある意味でおもしろいのですが。

 井崎一夫は、長谷邦夫『ニッポン漫画家名鑑』によれば……と、まさかの未収録でした。井崎は、大正4年、北海道・苫小牧市生まれ。室蘭中学卒業後、「北海タイムス」勤務を経て北沢楽天に師事。昭和7年に近藤日出造や杉浦幸雄らが「新漫画派集団」を結成した後に、他の若手漫画家たちもそれぞれ団体を結成しますが、楽天系の小川哲男や松下井知夫は「三光漫画スタジオ」を結成します。井崎もそのメンバーでした。戦前から各誌に漫画を描いて活躍 、戦時中は陸軍報道班員として従軍し、帰ってきてから海軍に召集され、後から召集された年上の杉浦幸雄の上官になったりしています。戦後は「漫画集団」の一員として、4コマ漫画などを新聞や雑誌に数多く発表しました。代表作に「カミナリさん」「スットン京ちゃん」などがあります。2002年逝去。元『週刊漫画サンデー』編集長の山本和夫が『漫画家 この素晴らしき人たち』(サイマル出版会、1997年)で記すところによれば、井崎は締切を守らない漫画家のなかでも独特の技で編集者を泣かせたようです。4ページの連載漫画の案がなかなか出来ずにいる締切の日。昼までの約束が午後になり、夕方になると、原稿に墨をこぼしてしまったと宣言するそうで、「井崎の墨落とし」として編集者の間では有名だったそうです(この話は岡部冬彦『かなりいい話』p.64にも出てきます)。とぼけた味のサラリーマン漫画を得意としていた人らしく、その人柄にもとぼけた味があったようです。温泉好きで、素人ですが太鼓の名人としても有名でした(岡部冬彦『かなりいい話』p.45-46)。

 太鼓を叩く井崎一夫。『ロマンス』昭和31年(1956)3月号。「漫画集団」が年一回開いていた恒例の箱根の大宴会。横山隆一の「落人」姿、山下紀一郎の「安来節」、那須良輔と中村伊助の珍劇などの写真が載っていますが、おすすめは杉浦幸雄の「サタン踊り」です(笑)。

 井崎一夫『温泉ツーさん』表紙。

 『温泉ツーさん』(日本温泉協会、1970年)は、漫画家仲間からオンキチ(温泉狂)と呼ばれたほどの井崎が、「ツーさん」という温泉評論家の中年男性を主人公にして描いた漫画集です。「ツーさん」が主人公の作品は4コマか8コマに収まる短いものばかりですが、最後に「チョイト番頭さん」というこれも短い物語形式の漫画が収録されています(この初出は『別冊週刊漫画TIMES』 昭和38年9月17日号)。日本温泉協会の機関誌『温泉』や週刊誌などに発表した作品がもとになっています。

 どこか間抜けで気の弱そうな温泉通の「ツーさん」が、各地の温泉宿を訪れては愉快な場面に遭遇するといった他愛ないものです。と言ってしまえばそれまでで、実際に軽く読むものだと思いますけれども、ところどころに世相が表れていて、現代のホテルや旅館では思いつかないアイデアや笑いも見られます。

 単純な線と横からの構図、大人漫画の骨法です。「チップチップチップチップチップチップ ランランラーン♪」可愛い仲居さん。

 ストレスの多い都会生活の合間を縫って、しばしの息抜きに訪れる山の湯。しかし、そこも鉄筋コンクリートになり、旅館は会社化していく時代。「オカチメンコ」とはなかなかの死語。

 茶店も自動販売機だけの無人店。これでは風情も人情もありません。「だんご」の「ご」が変体仮名、ここだけは風情を出そうとしています。

 PTAに配慮しなければいけなくなった時代。おおらかさはどんどん失われていきますが、ツーさんの表情にそれはまだ辛うじて残っているのです。

 戦後の訪日外国人の数は順調に増加し、1950年代後半の年間10万人から、1970年代後半には年間100万人になりました。また、日本人の海外旅行が大衆化していきます。

 マナーの悪い団体旅行客の代名詞となってしまった「農協」のツアー。でも、ツーさんは相変わらずほのぼのです。このあたり、「くたばれPTA」や「農協 月へ行く」を書いた筒井康隆に通じています。井崎は大人漫画家ですから、もちろん痛烈な批判はしません。この程度がいいんです。日本温泉協会が発行していますしね。あまり無理なことはできません。

 『温泉ツーさん』いかがでしょうか。可もなく不可もなく、軽い諷刺にかすかに洩れる笑い、ほのぼのとした読後感、というところですかね。まったくコンセプトが違いますが、これを読んだ後、『温泉まんが』を読むと、つげ義春の良さがよりいっそうわかるという、特殊な効能もあります。でも、僕は井崎のうるさくない軽やかな絵が好きです。

 井崎は戦前の若手漫画家の一人として漫画史に名を残していますし、『漫画讀本』などに執筆していたので、大人漫画の世界では知られた存在なのですが、田崎友彦になると、もうお手上げでしょう。わかりますか? 私もわかりません(笑) おそらく昭和20年代でしょう、貸本漫画で有名な若木書房から傑作漫画全集の一冊として『うなる十手』を出しています。絵柄を見ていただければわかるように、大人漫画の作者というよりは、劇画とかギャグマンガの影響が強い人なのかなと思います。

 『草津漫画読本』は草津温泉観光協会からの発行で、発行年は不明です。本文の註に「昭和時代(昭和四六年)長野原線を吾妻線に改称白根特急号運転始まる」とありますから、昭和40年代後半から昭和50年代の発行と思われます。もうお分かりのように、草津温泉がいかに楽しい観光地か、をアピールするための漫画です。ですから、漫画以外の部分も充実しています。「草津節」「草津小唄」の歌詞、「ゆの花」総発売元である桜井商店の広告、「草津温泉三大祭り」の紹介、旅館・飲食店の一覧、草津への鉄道路線図、「草津の夜」という歌謡曲の歌詞と楽譜、ページの左右隅には草津の歴史を辿る一文、すばらしい編集ぶりなのです。なのですが……、中身はどうなっているのか、見てみましょう。とんでもないことになっています!

 田崎友彦『草津漫画読本』表紙

 主人公の二人。あっ、われらが田崎先生!

 話は、草津温泉に毎月通う女好きの社長と、お付きの男性社員が、草津温泉を訪れ、お下劣なエロ臭いドタバタ喜劇を演じるというもの。

 冒頭から女湯に乱入。そして……。

 社長の長大な金玉です!夏目房之介さんに「この金玉の線は誰々の……」と解説してほしいところです。絆創膏は何なのでしょうか。

 もう冒頭からお腹いっぱいのストーリーと絵ですね。

 社員のほうは、ある女性客にたいそう好かれてしまい……。これはまたお下劣な……。

 色っぽくきれいな「もだえ姐さん」と、小尿迸る大ベテランの「ころび姐さん」。「もだえ姐さん」が社長の愛人です。バー「すれすれ」。吉行淳之介ですね。

 このギャグの古さはどうでしょうか、いい感じになってきました。

 いっぽう、社長は芸者買いに出掛けますが……。

 あの女性客と、なんと湯槽でハプニング的にヤってしまいます。この後、二人は草津温泉を後にしますが、女性はどこまでも追いかけてきて、「助けて〜」となって、おしまいです。
 いかがだったでしょうか。怪作とまではいかないものの、観光案内の漫画としては十分に楽しませてくれる作品でしょう。草津温泉観光協会的にはこれでよかったのか、と要らぬことを考えてしまいますが、なにしろ愉快ですから、温泉の宴会場で酔っぱらうおじさまたちには受けたかもしれません。

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