はじめに。大人漫画趣味について。

 蒐集している「大人漫画」に関する記事を書きます。衰退した「大人漫画」の良さをいま味わいたいと思います。
 「大人漫画」とは何なのでしょうか。マンガ史やマンガ批評でたまに語られる言葉ですが、明確な定義はないようです。
 その発端と考えられているのは、昭和7年に結成された「新漫画派集団」です。岡本一平系の近藤日出造、杉浦幸雄、田中比佐良系の麻生豊、大羽比羅夫、堤寒三系の横山隆一、下川凹天系の石川進介らがメンバーで、他にも、松下井知夫、井崎一夫、根本進らの「三光漫画スタジオ」、秋好馨、村山しげるらの「新鋭漫画グループ」、阪本牙城らの「童心漫画団」が結成され、当時の若手漫画家が結集して、それぞれに新しいセンスを漫画に取り入れていこうと試みました。彼らは外国漫画に方法を学び、ナンセンスを主体とする漫画を作り出します。戦時下体制のもと、彼らは合同し、乱立する漫画団体を「新日本漫画協会」に改組し、また、当時の長老漫画家らを含めたかたちで「日本漫画奉公会」が結成され、その中で働き盛りの彼らは、軍部の支援というか指示のもとに「大東亜漫画研究所」「報道漫画研究会」を作り、戦争に協力します。終戦の年の10月、旧「大東亜漫画研究所」のメンバーを中心に「漫画集団」が創立され、新聞のほかに、『漫画讀本』、『週刊漫画サンデー』、『週刊漫画TIMES』などを中心とする成年向けの漫画雑誌の主要な執筆者となり、漫画界の主流を占めることになったのでした。彼らの漫画を「大人漫画」と呼んでいるのです。
 いっぽう、現在は状況が異なりますが、マンガの歴史の中では、「大人のための漫画」と「子どものための漫画」が分けられて考えられていた時期がありました。「子どものための漫画」の代表は少年マンガであり、少女マンガであり、また、学習マンガもそうでしょう。では、それ以外がすべて「大人のための漫画」なのでしょうか、難しいところですが、「子どもマンガ」の対立概念として「大人漫画」が確立されたという側面もあるのは確かなようです。戦後、「大人漫画」を描く漫画家たちが「少年マンガ」というよりも「児童漫画」を描いていた時期がありますが、彼らは少年少女の支持を受けられず、やがて「大人漫画」の世界に帰っていきます。加藤芳郎のようにタレント文化人となった漫画家、馬場のぼるのように松下井知夫を間に挟んで児童漫画から大人漫画への橋渡しをした漫画家、横山隆一のように初期の子ども向けアニメに関わった漫画家もいますし、イラストレーターや挿絵画家に近い仕事をするようになった漫画家、絵本や児童書の分野に向かった漫画家もいますし、二階堂正宏のように作風を変えながら今も根強いファンを持つ漫画家もいます。
 特徴は、ナンセンス漫画が主流を占めるということです。また、形式面では、1コマ漫画、4コマ漫画が多く、時事漫画、似顔絵漫画、世相諷刺漫画として、また、連載物の漫画として新聞や雑誌を発表媒体にしたものがほとんどです。もちろん、1コマ漫画などは商業主義と相容れない状況が日本にはあるので、例えば自費出版のような形で本として発表されたものも多くあります。時期としては、戦後から昭和30年代を全盛期とし、昭和40年代以降衰退します。現代のマンガのイメージとは異なり、描線はシンプルで、女性の漫画家がほとんどいないのも特徴です。
 しかし、やがて子どもたちや青年たちは手塚治虫らのストーリーマンガ、辰巳ヨシヒロらの劇画、また、赤塚不二夫らのギャグマンガを支持し、「大人漫画」は発表の場を失い、漫画界はマンガ界になり、彼らの権威も失墜していくわけですが、それは「大人」の喪失と機を一にしているとも言えるのでしょう。
 別に当時の「大人」に帰れというわけではないのですが、彼らが笑い、彼らを笑わせた「大人漫画」を振り返るとき、そうしたナンセンスな笑いやユーモアのある笑いが日本から消えたような気もしますし、むしろ普遍的なものとして、後のさまざまなマンガや絵本の中に溶解したような気もします。
 その結論はともかく、純粋に当時のさまざまな笑いを楽しみたいと思います。
 

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