経験値という土台から。
これまで貯めてきた経験そのままに、保守にまわることなく攻めの姿勢で職に就くとしたら、どんなふうに仕事を選ぶだろう。
積んだ経験が、企業のネームバリューじゃないことを告げている。会社の業績は大事だけど、今じゃなく、これからが大事なんだ。となれば、将来性? 可能性? 成功する勝算は高いほうがいいのだろうか。でも、勝算が高いということは、安泰の度合いが増えるということ。
あるいはあと先考えずに直感で飛び込むか。若いうちの失敗は、巻き戻せるビデオテープなんだもの。その特権を生かして、未知に飛び込み高揚感を楽しむのも悪くない。
これまで無難にやってきたから、次の人生は冒険に満ちていていい。
ただひとつ言えることは、かつて抱えたモヤモヤは、積んだ経験がかき消した。どの職に就きたいかと問われ、社会に敷かれたレールのメニューから、よくわかりもしないのに、医者だ、営業だ、クリエイティブだ、と踊らされていたかつて。こんな選び方でいいのか? との自問に、これでいいのだ! の蓋をして誤魔化していたかつて。見栄とプライドと他人からの評価軸で、遠目から自分というピースを社会に当てはめようとしていたかつて。
今の発言は、かつてとは違う。暗くなりがちな気持ちに明かりを灯せるような職。敷かれたレールに自分を乗っけるわけでなく、はやる気持ちに寄り添ってくれる軌道を探す道。
その道は、安易なものじゃない、きっと。でも我慢・忍耐で得る大金より、よっぽど価値は高いよね、きっと。
これまで貯めてきた経験が、降ろした腰を重くして、上げるのに難儀になっているけれど、なんだかまだまだやれそうな。
よっこらしょ。
さて、もうひと踏ん張り、挑戦してみましょうか。
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