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長いブランクのあとで。

 風に匂いがあった。春の陽を通り過ぎて、夏が紛れ込んできたみたいな匂いだった。微熱に通じる場違いの風は、匂いが消えると春の温度に戻っていった。
 この感覚、そういえば。

 車は維持費の関係で持つことができなかったけど、バイクならマンションの駐輪場に格安で置けたことから購入に踏み切った社会人になりたてのころ。
 特段、徒歩や自転車以上の「足」が必要なわけではなかった。高校を卒業する年、何か記録に残るものをとさして必要に迫られたわけでもない理由で、バイクの中免を取った。別に自由意志でどこにでも飛んでいける翼に憧れなどというものは抱いていなかったし、免許に費やしたことで貯金も尽きたのでバイクを購入することもできなかったし、買わなかったことに後悔もなかった。
 それが社会に出て金銭面にゆとりが出てきた社会人1年生を無事通過しようとする入社11か月目の3月、何か記念になるものを残しておこうとバイクを買った。
 ヤマハの単気筒バイク、SR400。
 カッ飛びバイクと違ってほんわかしていたのが性に合っていそうだったし、何よりローンを組んでも負担にならない安さがよかった。身の丈で乗れそうだったことも、購入の言い訳として付け加えた。

 買ったはいいものの、乗るのは1年を通して数えるくらい。スーパーやコンビニ、歯医者は徒歩圏だったからわざわざバイクを使うまでもなかったし、仕事に追われているうちはまとまった時間が取れなかったことも関係していた。平日のヘビーローテーションで週末くったりしていたこともある。それでもまとまった休みには、意を決して遠くの見知らぬ土地に思いを馳せ、そこに引き寄せられるみたいにして一心に走って行った。
 不思議なことに、あれこれ調べたはずの目的地なのに、覚えていることはあまりに少ない。思い出はむしろ道中にあったことを思い返して、後になって苦いけど、切なく甘い時間に浸った。
 あのころの旅を繰り返し思い出す。日程を組み宿を予約すれば出発せねばならない。雲行きが怪しく、高速道路に乗ったとたんに降られたこともあった。初夏の陽気に薄手のジャケットで出かけたら、旅先のユニクロで重ね着用のトレーナーを購入せざるを得なくなったこともあった。
 長い髪をほどくようにフルフェイスを取ったバイク女子とLINE友達になったのは、妙義山に向かう3桁国道沿いの蕎麦屋だった。

 走行時間に応じて鄙びていく風景と、断続的につづく寒暖の見えない壁、雲のように浮かんでいる匂いーー匂いの雲へ突っ込んでは抜けていく感覚は、電車や車では味わえないバイクが背負った烙印のような運命だ。
 匂いはいい香りよりも臭みが勝る。ラベンダー系統なら幸せ時間も増えるものの、畜産系統の匂いに鼻も顔も顰められたことのほうが圧倒的に多い。
 それでも、終わってしまえばみんな幸せな思い出。たどり着いたナントカ・スカイラインの登頂先から景色を眼下に収めるみたいにして、今ならあの時の旅の数々を見渡すことができる。そこに、あの時に襲われた苦労は残っちゃいない。苦労の感情がアク抜きされたみたいに消え、平たく文面化されたテキストが輝かしく煌々と胸を張っているだけだ。

 転勤が決まって上京することになったとき、置き場所の問題でバイクは実家の物置でその翼を休めてもらうことになった。とくに記念を意識したわけではない。記録に残すべきものでもなかった。風が吹いて、それを受け流した程度の、いわばなりゆきの結果として。

 あれから5年。三十路を迎え人生の区切りに何を残そうか、いつになく真面目に考えた。候補を挙げ、選べる程度に絞り込み、意識の風呂敷に広げてみた。選択肢それぞれの長短を吟味し、検証した。海外旅行。楽器の手習い。何かの資格取得。
 それらの中から、止めてしまった時間を再び動かすという札を引いた。

 配送を手配して都心にやってきたSR400は、直すのに手間も時間もかかった。自分の力量では思いのほうが先走り、お店にずいぶん頼った。お金もかかった。その甲斐あって、埃と錆にまみれていたSRは、こびりついた涙を拭い去ったみたいに綺麗に仕上がって帰ってきた。

 エンジンをかける。数回のキックののち、トトトトと愛らしい息遣いを弾ませる。
 アクセルを煽る。
 ぶるん。
 あ、これ。
 ああ、忘れていたよ。過ぎた時代に置いてきてしまったあの感覚。実家の物置で埃をかぶっていたSRは今、都会で借りた駐輪場で息を吹き返した。
 間に合ってよかった。明日の朝から2泊3日でこいつと一緒に旅に出る。

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