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節目の試練。

 訃報が届くと心が痛む。たとえその人と面識はなくても、知ってるだけで悼んでしまう。向こうからは見えない顔でも、こちらからはガラス張り。有名税っていうものがあるらしいけど、妬み嫉みだけが向けられるわけではない。畏敬と感謝、だったりすることもある。とくに、生の声を届けられるものなら届けたいのに届けられなくなった命に対しては。

 近所で製麺を生業にする個人店で飼ってる猫がいる。名をサクラという。寅さん家の彼女と似て芯の強そうな女史である。
 今日、久しぶりにその姿を見かけた。
「野良あがりでね」
 女将は、知らない人には触れさせもしないサクラと、声をかけてくるのだから猫好きだと思わしき人を両方気遣う。

 初見ではなく、何度もトライをしているから、気遣いは不要な仲である。
 だから、女将、いきなり本題に入った。

「長くはないんですよ」
 聞けばここのところ体調がすぐれず、獣医に診せたところ余命を宣告されたという。
 死んでいく命がある。
「せめて、好きなものを存分に食べさせてあげたくってね。今日も白身の半身をひとつ食べたんですよ。ずっと食べないできたものだから、食べてくれてよかった。食べなきゃ元気も出ないからね」
 気丈の隙間から寒風が入り込んでいるのがわかった。
 女将は願っているよ。元気が1日でも長く続きますようにって。悲しみの涙を今日、少し早めに流してしまったから、きっと女将は最後まで気丈でいてくれる。

 漫画を読む欲求を使い果たしてしまった僕は、コミックの類にはいっさい目を通さなくなって久しいけれど、アラレちゃんが引退して悟空にスターの座を明け渡してしばらくは毎週お世話になってた時期があった。少年ジャンプを見かけるたびに、きっと僕はあなたのことを思い出します。

 製麺屋さんで生麺を買うたびに、僕はサクラのことを……いや、まだ区切りをつけるわけにはいかない。彼女はまだ好物を食べつづけなきゃならん。

 ……命って、どうしてなくなるまで(あるいは、なくなるとわかるまで)切なさを孕んでいることに目を向けないのだろう。辛気臭い思い出はいらないから? いい思い出をひとつでも増やしておくために? 
 楽しい思い出が多ければ多いほど、節目の辛さは大きくなるっていうのにね。

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