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死神が最初にすること。

 死期を測る計器は体の内側に組み込まれてる。呼吸の数・深さ・質、心音、心拍、腕白、血流、血圧、血糖値ーー医学の検知はそれらを可視化する。統計学でわたしたちに科学的生き装束を纏わせる。

 検査の数値は生死の境目、いい結果は死期への抗い、生き力という抵抗勢力。

 そのことを知ってか、死神が最初にすることといったら。エグい。とってもエグい方法で、生き力を足元からひっくり返そうとする。

 恐怖心を水で薄め、痛覚を間引き、思考歯車の潤滑油を拭い去っていっちまう。
 そうさ、感覚の先端から麻痺させ始めるのさ。だから、傷を負っても、体力落ちても、生の絶壁、絶体絶命の崖っぷちに立っても、平気の屁の河童にすり替えちまう。ケ・セラ・セラを暗雲の如く広げてく。呼吸も心拍も、しつこいようだけど腕白具合も、すべてを鈍化させちまう。

 まったく。死神のすることといったら、お節介なんだから。

 そのようにして、死期は局所から忍び寄る。一点突破で、開けた穴を広げてく。広げられたが最後、鈍化が蔓延していく。その兆候に思いあたったら、目をそむけないことだ。見ないようにしてしまうと、見えないところから手遅れになっていくんだから。
「死にたくない」わけじゃない。いや「死にたくない」のかもしれない。ただひとつ言えるのは、まだ不完全だってこと。「死に対する理解」がもう少し進むまで、話を保留にさせといてくれないかい。

【まだ早すぎるよ】


 幸い、今はまだケガをすればしっかり痛いし、生きるのは苦しい。死ぬのも怖い。生き装束の鮮度は、よこしまな悪意が入り込む余地がないくらい、きっちり保たれているんだもんね。

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